一之瀬が二人を呼びにきた。笹川毅一と正宗の話し合いが終わったようだ。
 凛と正宗は客間で会えるという。
 元・組長と元・舎弟の話し合いの結果がどう転んだのか、一之瀬の口から語られることはなかった。ただ、玄関に立つ笹川の顔を見たとき、紆余曲折うよきょくせつありつつも物事は良い方向へ進んでいるとフィアスは直感した。
 笹川は凛を待っていた。老境ろうきょうに霞んだ眼差しの中に、その風貌ふうぼうを捉えた時、しわがれた顔は緩やかに微笑んだ。なるほど、と声に出さずつぶやくのをフィアスは見た。
 初めまして。龍頭凛です、と自己紹介をして、凛は深々と頭を下げた。
「父がご迷惑をお掛けして、申し訳ありません」
「なに、お前さんが詫びることじゃない。ワシらの話し合いも、もう済んだからの。凛さんも、心ゆくまで話すと良かろう」
「はい。ありがとうございます」
笹川は厳かに頷き、アイコンタクトで一之瀬に指示を与える。
 客間へ案内するという一之瀬の後に続いて、凛は屋敷の玄関をくぐる……直前、フィアスを振り返ると、意志を込めた目でゆっくり頷いた。
 フィアスも頷きを返したのを見て、にこっと笑うと、廊下の果てへ消えた。
「ササガワさん、便宜べんぎはかっていただき、ありがとうございます。イチノセさんにも、マサムネのことで世話になりました」
フィアスが頭を下げると、笹川は皺の寄った顔にさらに皺を寄せて笑った。
「すべて承知の上よ。気にせんでええ。確かに因縁は残っておるが、今は未来に目を向ける時じゃ」
 呵々と笑う笹川は、過去の因縁すらも許容しているように見えた……表向きは。
 果たして、磊落らいらくな笑みは本心から発露しているのか。
「それにしても、兄さん。ちょっと見ねぇ間に随分変わったな」
フィアスが洞察を図る前に、笹川はするりと話題を変えた。
「前に会った時は、なんつぅか……餓狼がろうみてぇな目つきだったからな。今際いまわきわまで突き進んでもう戻ってこれねぇ、飢えを死で満たす亡者の目に、懐しさすら感じたものよ。それが今じゃ、あんたの顔には迷いが生じ、不安の影が揺らいでおる。人間の余地を残せば隙ができる。そして、その隙を埋める為に仮初かりそめではない強さが生まれる。その強さは自分を攻め立て、時には責め苛むが、絶対に目をらしてはならん。そして、どちらが真の猛者もさか、ゆめゆめ忘れちゃいけねぇよ」
 フィアスは返答に困りながら曖昧に頷く。この老人の使う日本語は独特で、解釈が難しい。
 笹川の片手に携えられた煙管きせる同様、煙に巻かれた感じがしないでもなかったが、その言葉は不思議な印象をフィアスにもたらした。ところどころ見抜かれている部分もあり、単純な言葉の翻弄ほんろうではないと感じる。
 とりあえず頭を下げて、「きもに銘じます」と答えたところ、
「銘じなくてええ。おいぼれのつたない戯言よ」
笹川は再び呵々かかと笑った。それから部下の一人を呼びつけ、この客人を孫に引き合わすよう命じると、自身は私室へ続く廊下を歩き始めた。
 相変わらず底知れない器を持つ老人だ。陽炎かげろうのような相対し方は、フィオリーナに通じるところがある。
 裏社会に君臨する長は、共通する資質を持つのだろうか。取り止めのない疑問をめぐらせながら、ほとんど連続的にフィオリーナのことを考えた。横浜で合流する約束を反故ほごにして、ネオの拠点を探し始めた彼女。赤目のテロ行為が発生したから、とシドはアタリをつけているようだが、それならば自分と共闘した方が効率的かつ安全だ。
 何故、単独で動いた。
 束の間の思案で答えが出るわけもなく、案内役の若衆に声を掛けられ、フィアスは顔を上げた。
「こちらに若とお客様がおります」
 通されたのは数部屋ある客間の一室。手入れの行き届いた和室だった。
 部屋の中央に一組の布団が敷いてあり、茜がうんうんと唸っている。彼女の額には水で濡らしたタオルがあてがわれており、未だに容態が悪いと見える。
「まだ治らないのか」
茜の側にあぐらをかいたまま、携帯電話をいじくっている真一に尋ねる。
「過呼吸は治ったんだけど、熱出しちゃって」
ディスプレイから顔を上げ、真一は苦笑した。
「意外に繊細なんだよな」
言うなや否や、布団から飛び出た足が力強く真一の背中を蹴り飛ばした。うちは生まれた時から繊細な乙女や! ドアホ! 威勢良く茜がツッコむ。
 痛そうに背中をさする真一を横目に見ながら、フィアスは頷いた。
「まあ、あれだけの死線しせんを潜れば、疲弊してもしょうがない。平和の国で育った子供なら、なおさらだ」
「ええで、兄ちゃん。このドアホにもっと言ったってやー」とタオルの下から声援が飛ぶ。体調を崩している割に、お気楽な声だ。
 携帯で何かをしていた真一が肩で息を吐いた。上等上等、と呟きながら顔を上げる。
「知り合いに、片っ端からメッセージを送っていたんだ。〝テロ行為がまだ続く可能性があるから警戒しろ。出来る限り屋外に出るな〟ってね。メッセージを送った中には、族のヘッドやチーマーのボスもいるから、若いやつらにはすぐに拡散されるだろ」
「ウチも杏奈に送った。杏奈の人脈も計り知れんからな」と茜も口を挟む。
「学校、休みになるかもしれんなぁ。そしたら宿題の期限も延びるなぁ。むふふ」とえつひたっている女子高生を置いて、二人は廊下に出た。
 先ほどシドと電話でやりとりした内容を手短に伝えると、真一は反射的に廊下に取り付けられた雨戸をさっと見上げた。タトゥーを入れた女の狙撃手の部分で、反射的に身体が動いてしまったようだ。
 この家は高い塀に囲まれ、住宅からも離れた場所にある。狙撃できる角度は限られている、とフィアスが説明して、ようやく真一は安堵の息を吐いた。
「狙撃手も気になるけど、フィオリーナも気掛かりだな。本当に赤目からアジトを聞き出すつもりか?」
「そうらしいが、好手こうしゅではないな。本人から詳しい話を聞かなければ……というわけで、俺はアジトに行く」
「もちろん、〝一人で〟なんて言わないよな?」
「ぜひマイチにも同行してもらいたい」
「おお、珍しくOKが出た」
ファインティング・ポーズを取りながら真一がにっこり笑う。
「頼られると頑張り甲斐があるぜ!」
「ああ、頼りにしてる。アジトから銃器と弾薬を運び出すのは、かなり骨の折れる仕事だからな。本当はもう一人くらい人手が欲しいところだが、部外者を連れていくわけにも行かないし」
頭の中で銃の選別を始めたフィアスの隣で、真一のファインティング・ポーズがゆるゆるとほどけてゆく。
 そういうことかよ。いいよ、いいよ、銃でも大砲でも背負ってやるぜ。期待した俺が馬鹿だったよ……という真一のぼやきを無視して、フィアスは茜のいる部屋に戻る。
 テロ攻撃が収まるまで笹川家に留まるようにと、伝えそびれていた。