「とりあえず、これを見てくれ」
どのように説明するか、頭の中で構想を練っていたのに、茜という少女が来て全部吹っ飛んでしまった。仕方なくフィアスはエアメールごと真一に渡した。真一は花柄のエアメールの裏面を見て呟く。
「……誕生日?」
「いや、それは関係ない」
「……ジュリア?」
「いいから、中を見ろ」
フィアスに急かされて真一は中身を取り出した。封筒の軽さから大荷物ではないと思ったが、出てきたのは紙切れ一枚だった。それも、青い模様の手の込んだ紙だ。ちょうど、先ほどフィアスが取り出した小切手と同じ種類の紙だ。表面には、¥の記号の後に230000000の天文学的数字。真一は目を細めて、いち、じゅう、ひゃく、せん、まん……と0の数を追っていたが、やがて舌打ちをすると頭を掻いた。
「1000万の次はなんだっけ?」
「そこには、二億三千万と記してある。フィオリーナからの軍事資金だそうだ」
真一の質問を飛ばしてフィアスは答えた。途端、真一の目が爛々と輝く。
「ってことは、二億三千万を好きに使っていいってことか!?」
フィアス宛に送られてきた小切手なのに、真一は興奮気味に小切手を見つめている。共同戦線を張った以上、半分は自分のものだと勘違いしているらしい。唾をつけられる前に、フィアスは真一から小切手を取り上げる。
「この二億三千万という数字、聞いたことがないか?」
フィアスの問いに真一は腕組みをして考える。やがて、思い出したように指をパチンとならした。
「もしかして、一年前に俺がフィアスに依頼した仕事の報酬額か?」
「そうだ」
〈サイコ・ブレイン〉の魔の手から、真一をガードする仕事。この仕事が切欠で真一と出会ったのだった。〈サイコ・ブレイン〉の追っ手から逃れるために、遥々ニューヨークへと高飛んだ。数々の戦いを経て、フィアスの上司であるフィオリーナとの不運な再開を果たし、〈サイコ・ブレイン〉を倒すよう命じられ、今に至る。
「なんで、フィオリーナがお前にやった金を持ってんだ?」
真一が首を傾げる。その間、さりげなく小切手を取ろうと手を伸ばしてきたので、フィアスは小切手をエアメールにしまい、懐に戻した。
「BLOOD THIRSTYの仕事の報酬の20%は元締めの手に渡る。それをまたBLOOD THIRSTYの軍事費用に当てたりするんだ」
「それなら二億三千万の20%がフィオリーナの手に渡るはずだろ?」
真一のもっともな疑問に、わずかばかりフィアスの頬の筋肉が痙攣けいれんした。BLOOD THIRSTYの内部事情を、組織とは関係のない人間に話すのは気が進まなかったが、そうも言っていられない。
罰則ペナルティーだ。俺は三年間、姿をくらましていた。連絡もなしに消息を絶った罰としてギャラを全部没収された」
是非もない判断だ。この3年間で働いた報酬は1%もフィオリーナに渡さず、あらゆる国の何十もの銀行に眠らせてあるのだから。
真一の、哀れむような視線に当てられる。同情されているのに、無性に腹が立つのは、真一の口の端が引きつっているからだ。内心でこの男は、面白がっている。
 またしても頭が痛くなってきたので、フィアスは軽く咳払いをして気分を切り替える。
「金のことはどうでもいい。俺が聞きたいのは、お前が二億三千万をどうやって手に入れたかだ」
何でも屋といえども、社会人が一生かかって得られる程の額の金を、まだ職について日の浅い若造に作れるはずもない。報酬を受け取った時には思いつかなかったが、よくよく考えれば浮かび上がる疑問だった。
そのような大金をどこで手に入れたのか。
 答えは簡単だ。
「シドから、“俺の実力を調べる”仕事の際に貰ったんだろう?」
図星だったようだ。真一はあからさまに肩を震わせた。
「二億三千万をBLOOD THIRSTYの№2に報酬として渡せ、と。そう言われたんだな?」
さきほどよりも口調を強くして詰問すると、真一は観念したように両手を挙げた。
「シドには、内緒にしとけって言われたから、今まで黙ってたんだけど……。でも、今更そんなことどうだっていいだろ?」
「それが始めからフィオリーナに、全部仕組まれていたことだったとしてもか?」
真一は首を捻る。どこまでも愚鈍な人間だ。フィアスは頭を抱えて呻きたくなったが、今まで鍛えた強靭きょうじんな精神力でそれを押さえつける。そして不思議そうな顔で首を捻っている何でも屋のために、丁寧に説明してやった。
「つまり、一年前から今までの出来事は全て連鎖リンクしていたって事だ。お前がシドから貰った金は、元はBLOOD THIRSTYのもの。それが、ホンゴウから、俺に、俺からフィオリーナへと返還された。そして、またフィオリーナが俺への軍事資金として手渡す。一見して考えれば、一年前のガードの依頼から、大量の金が絡んでいるように思われるが、全てフィオリーナのポケットマネーの二億三千万が堂々巡りしていただけの事だった」
「マジかよ……ってことは?」
「一年前から俺たちは彼女に意のままに動かされていた。〈サイコ・ブレイン〉抹殺へと導くために」
フィオリーナ……食えない女だ。真一が〈サイコ・ブレイン〉から反感を買ったのは偶然にしろ、それ以外、自分たちは彼女の支配する盤の上にいたのだ。フィオリーナは、まるでチェスの駒を差すように自分たちを操って〈サイコ・ブレイン〉へと歩を進めている。果たして、チェック=メイト出来るかどうかは分からないが。
始めから、三年間も失踪したりせずに、彼女の手配したとおりに打倒〈サイコ・ブレイン〉に専念していたらどうだっただろうか。こんなに回りくどい手筈を受けずに済んだのではないだろうか……と、それは考えるだけ時間の無駄といもの。
 五年前のあの日には戻れないように、時間は元に戻せない。
 フィアスはその場にあったソファーにどさりと座ると足を組む。無意識といってもいいくらい反射的に、ポケットから取り出した煙草に火をつけた。
「そんなに大掛かりな手解てほどきを受けたんじゃ、ドロップアウトしようにもできねぇなぁ……」
真一は頭を掻きながら言った。フィアスも煙草を持った手を眉間に当てると唸る。手に持った煙草から出る煙は白く細く、まるで額に灸でも据えているようだった。
暫く二人は黙ったまま、部屋には時計の針の音が響いていた。
 三百回ほど、心臓の鼓動のように規則正しい秒針の音が流れると、フィアスは立ち上がる。一度しか手をつけていない煙草は、今やフィルターの方にまで火が届いていて、少しの振動で灰がぼろぼろと崩れ落ちた。それは龍頭彩が死んでから、徒に過ぎた5年間を象徴しているように見えた。フィアスは机の上にあった煙草の灰皿に力を込めて吸殻を押し付けた。灰と化した煙草は粉々に砕ける。
「もう時間を無駄にできない」
静かな口調とは反対に言葉には揺ぎない熱意が込められていた。冷静沈着という言葉を体現している男の中に、冷たいながらも煌々と輝く青い炎がたぎったようだった。真一はポケットから何やら光り輝く銀色のものを取り出す。四つの穴が開いた鋼鉄の武器――ナックルだ。おおっぴらな銃撃戦はNGとされている日本で、真一が武器として用いているもの。使い方次第で、骨をも砕く破壊力を持つ。
「手始めに、ヤクザの聞き込みに行こうぜ?」
言いながら真一はフィアスにナックルを手渡した。フィアスはため息をつきながら左手にナックルを嵌める。手慣らしに二、三回ジャブを打つ。プロボクサー顔負けの猛然もうぜんたるパンチが、ひゅっと風を切った。この分なら、体術だけで十分ヤクザを再起不能に出来そうだ。
「これは、BLOOD THIRSTYの仕事の依頼と取って良いのか?」
フィアスの質問に、真一はニヤリとした。
「おっと、“BLOOD THIRSTY”じゃなくて、“何でも屋”への依頼さ」