何でも屋の仕事


「〈美麗〉の直樹も知らないとなると、暴走族に当たってみるのは無駄かもなぁ」
帰りの車で真一が呟いた。片肘を全開にしたカーウィンドウに乗せて、もう片方の手では車のハンドルを握っている。
車内には、防虫剤の匂いと、様々な香水の匂いが混ざり合って妙に清潔感のあるような匂いをかもし出しているが、後部座席には食べ散らかしたお菓子の袋やペット捕獲に使う金網他、何かのダンボールが三箱ごちゃごちゃに積んである。
 何でも屋、本郷真一ほんごうまいちの移動手段はカーキ色のVW1200。小回りの利く優れものの車だ。どこかの修理業者から、欠陥品だったそれを安く斡旋あっせんしてもらったらしい。
カーステレオからは、一目聞いただけでは理解不能なラップが流れていた。
 雑音としか聞こえない音楽に少々苛立ちながら、フィアスは煙草に火を灯す。やけに芳しい香りが充満していた車内は一気に煙草の匂いに支配される。真一が煙たがるので、助手席の窓を下げると、煙は天を目指してたちどころに逃げていく。
「あれから、二ヶ月も経つのに、俺の情報網をもってしてでも龍頭りゅうとうあやの情報が全然集まらないなんてなぁ……」
真一がそう呟きながらハンドルを左に切る。桜木町を抜けて根岸線沿いにみなとみらいへ向かう。真一は詳しくは知らなかったが、その辺りにフィアスが取った高級ホテルがあるらしい。
「どこで〈サイコ・ブレイン〉の目が光っているか分からねぇから、大々的に動けねぇけど、やっぱ聞き込み捜査だけじゃ限りがあるなぁ……」
大量のステレオから溢れ出る言葉。真一の声は勢いのある若者音楽にかき消された。フィアスが横からステレオをいじると、ラップからしんみりとしたジャズに変わった。
ガラリと変わった音楽に、空気までもが静かになる。
フィアスは窓の外へ煙を吐き出しながら呟いた。
「そのうちに見つかる。重大な情報が……」
「本当かよ?」
「……そう願うしかないだろうが」
藍色の空に、煌々と輝く月の光を浴びて、車は夜を突っ切っていく。


 「BLOOD THIRSTY」――類稀なる、武力・・を売りにした国際組織である。殺し業から、ボディーガードまで、BLOOD THIRSTYの仕事内容は幅広く、世界各国に総勢50名ほどのBLOOD THIRSTYが日々、政治や経済の舞台裏で暗躍している。
BLOOD THIRSTYの仕事の内容は、それ相応の金額で依頼を受けて、力で以って行使する……言ってしまえば戦闘専用の「便利屋」のようなものだ。
 BLOOD THIRSTYの№2であるフィアスは、或る任務を引き受けた。依頼主は直々の上司であるフィオリーナ・ディヴァーだったが、真の依頼主は自分であるのかも知れなかった。
 というのも、5年前にアメリカで起こった「日本人女性殺人事件」の謎を解くことが、今回のミッションなのだ……。
 龍頭彩。5年前、わずか18歳にしてこの世を去った日本人の女。プロの殺し屋の手にかかり、5年前のフィアス――アルド・ディクライシスの前から姿を消した。彩の死には、日本の犯罪組織〈サイコ・ブレイン〉が絡んでいることが推測される。
 アメリカから日本へと戻ってきたフィアスは、何でも屋本郷真一ほんごうまいちの情報を元に、〈サイコ・ブレイン〉の捜査に乗り出した。
 彩がかつて所属していたかもしれない秘密組織〈サイコ・ブレイン〉は、ありとあらゆる情報に通じている何でも屋でも舌を巻くほど情報が少ない。捜査は難航を極めた。そもそも、彩を〈サイコ・ブレイン〉に売り渡したとされる男――〈ドラゴン〉の素性も不明瞭だ。
 手始めに、ドラゴンが発足した走り屋チーム〈ドラゴンヘッド〉について、ここ2ヶ月の間横浜の地元ヤンキーを的に聞き込み調査を行っていたが、今ひとつ確信的な情報は掴めないでいた。
それでも、諦めることなどできはしない。
〈サイコ・ブレイン〉と彩、そして〈ドラゴン〉……その中に渦巻く謎を解き明かしたとき、何が見えてくるのか。
 あちこちに散らばったパズルの断片を繋ぎ会わせるように、手探りをして前に進む。彩の――恋人の死を知るためには、その地道な行動以外に道はなかった。


「俺たち、このままで大丈夫かなぁ……」
真一がハンドルを片手にぼやいた。元から真一は何にも飽きやすくて、地道な作業が苦手な性格である。ここ2ヶ月の間、既に5回は似たような不満を吐いている。
その度にフィアスはこう返事をする。
「嫌なら降りていい。これは俺一人の問題だ」
 よく考えれば、真一の手を借りる義理はなかった。真一とは1年ほど前にBLOOD THIRSTYにガードの依頼を申し込んできた依頼人クライアントという縁しかない。龍頭彩の情報を無償で調べてほしいと言える筋合いはないのである。
しかし、理にかなったフィアスの答えに、真一は常に眉をひそめる。アメリカで苦戦の末に築いた共同戦線を、無下に取り下げようとするフィアスに日本人特有の共同意識のようなものが反発を起こすらしい。
「おいおい、そんな悲しいこと言うなよ。俺だって〈サイコ・ブレイン〉には恨みがあるんだからさ。是非とも元FBI捜査官のアルド・ディクライシスくんに仇をとって欲しいわけよ」
「その名前で呼ぶな」
フィアスは真一を睨む、片手でハンドルを握っている真一は、もう片方の手だけで癖になったホールドアップをした。
「了解了解……っと。そんで、明日はどうする?……って、もう今日か」
真一がステレオ上の緑に光るデジタル時計をみて呟いた。時刻はAM三時を回った。日付変更線は三時間も前に飛び越えている。
「俺は今日の夕方から何でも屋の方で依頼が入ってるから、捜査するならまたこの時間帯でいいか?」
真一が欠伸をかみ殺しながら言った。
潜りの職業なのに、何でも屋を活用する人間は多いようだ。真一は必ず一週間に四、五件は何でも屋の用事を入れている。
 ちなみに何でも屋とは、その名の通り職種にこだわらずどんな仕事も請け負うビジネスである。一般的な雑務を任されることもあるが、大抵はヤクザ間の喧嘩の抑制、シマ荒らしへの制裁、酷いところでは借金取りの手伝いもさせられるらしい。つまり、白から黒まで何でもありの世界なのだ。
 勿論拒否権もあるが、真一自身この仕事が好きなようで、大抵はOKを出して仕事をしている。
 一年前、〈サイコ・ブレイン〉から頼まれた仕事も二言返事で引き受け、さらにしくじってしまったために、〈サイコ・ブレイン〉から命を狙われたことがあるのだった。
「何の仕事が入っているんだ?」
今回もヤクザ関係の仕事だろうな、と思いつつもフィアスは聞いてみた。
案の定、
「なんか、銀座辺りで縄張り荒らしのゴロツキがいるらしいから、退治してほしいんだとさ」
という答えが返ってきた。
「武闘派ヤクザはすぐに刃物出すから、俺も好きじゃないんだけどさぁ……。ちょっと世話になってる筋からの依頼だから、断るに断れないんだよな」
「義理と人情ってやつか」
たまに、昭和の時代から生き残ってきた大物ヤクザからBLOOD THIRSTYの依頼を受けることもある。その際に「義理」とか「人情」という言葉を使われる。日本人は信頼関係をそういった言葉で表現するのが好きなのだ。それが、いかに血腥い契約の上に成り立っているとしても、「信頼」の強さをこの上なく美徳と感じている。
“ビジネスにおける重大な物事の一つに「信頼」がある。”
 フィアスがそのことを強く感じたのは、日本人の依頼を受けてからだ。
 フィアスの言葉を聞いて、真一は苦笑した。義理と人情は、昭和のヤクザが身を引くと共に廃れてしまったきれいごとだ。今なおそういうことを言う人間は、真一の知り合いでも二、三人しかいない。
現在は、闇金融や詐欺などの狡猾な経済運営が物をいう時代。信頼は金で買える。金の切れ目が縁の切れ目。無一文の敗者はお情け無用に、この残酷なゲームから弾き出される。
つくづく、救いようのない時代になってきたものだ。
 フィアスは視線を宙に泳がせてなにやら考え事をしていたが、やがて、窓の外に目を向けた。煙草を一口吸っては、細めた青眼をこすっている。
 BLOOD THIRSTYの中で一、二を争う敏腕も、この二ヶ月、毎日のように徹夜で聞き込み調査を行うのは、精神的にも肉体的にも堪えるものがあるのだろう。
「なあなあ、フィアスも何でも屋の仕事、やってみないか?」
突然の真一の言葉に、フィアスは怪訝な顔で運転席を見た。
「何故だ」
「何でも屋ってのは、東西南北から色々な情報が集まる職業なんだよ。〈サイコ・ブレイン〉の情報集めには、適任かもしれない。それに、ここ二ヶ月BLOOD THIRSTYの依頼の仕事は請けてないだろ。体、ナマってんじゃねぇの?」
「それで?」
フィアスは顔をしかめた。反対に真一はにこにこと笑っている。ニヤリとした品の良くない笑い方だ。悪巧みを企てている人間の笑い方。
段々と真一の思惑が見えてくる。悪い予感がフィアスの第六感を刺激した。
「明日の俺の仕事、代わりにやってくれよ」
「断る」
唐突に真一が切り出したが、それと同様にフィアスも素早く断りを入れた。しかし、真一はなおも食い下がる。
「ヤクザに話を聞く良いチャンスじゃないか。銀座のヤクザなんて、裏情報にすっげー通じてるし、龍頭彩に関する情報が入ってくるかもしれないぜ」
そう言われると弱いが、これは真一の作戦だ。ヤクザと取っ組み合いをするのが嫌なので、都合の良いことを言って自分を銀座へと向かわせる気なのだ。その思惑が目に見えて分かっていたフィアスは、断じて首を縦に振らない。
 真一のほうも、「ちぇっ」と毒づいたが、それ以上は誘ってこなかった。
「まあ、何でも屋がやりたくなったら、いつでも言ってくれよ。弟子にしてやるからさ」
冗談じゃないとフィアスは思ったが、言い返す気力もなかったので、開いたカーウィンドウから風を左頬に受けて、ネオンライトに色づけされた横浜の街を、視界に入るがままに眺めていた。
この光り輝く街のどこかに、〈サイコ・ブレイン〉はいる。
そう思うと、自分でも知らないうちに皮膚に爪が食い込むほど、堅く拳骨を作っていた。