――君ももう分かっていると思うけれど、葵をあんな状態にしてしまったのは、この僕なんだ。嘘をついていてごめんね。葵にも悪いことをしたと思っているよ……貴重な材料をみすみすドブに捨てるような真似をしてさ。僕の実験は、生身の人間の体には少しきつすぎたみたいだ。もっと大切に扱えば良かった。そうすれば、こんなに廻りくどいことをしなくても葵だけで事足りるはずだった。まあ、いくら嘆いても〝死者は蘇らない〟。しょうがないよね。

――まずは僕のことについて話そう。僕は遠い昔、君が生まれるより・・・・・・・・遥か昔に、ドイツのある地方に生を受けた。
その頃は世界が今以上に荒れていて、戦争に御法度はなく、非常にアナーキーな時代だった。アメリカやソ連が競い合うように強力な武器を開発し、ありとあらゆる知恵を絞って作られた破壊兵器が世界中を震撼させていた。明日、世界が終ったとしてもなんら不思議はない。まさに一触即発の時代さ。
 先進国のドイツも、両国に続けと兵器開発に乗り出した。
 ドイツが先の二国と一線を画したのは、化学や原子力を使うのではなく人間の遺伝子を基に兵器開発を進めたところだ。いずれは、化学や原子力を用いた戦争に連盟・・から禁止令が下るはずだ、と彼らは考えていた。それならば人間の遺伝子を任意に組み替えて、戦争に適した、常人より優れた戦闘力を持つ生命体を生み出す努力をした方がインテリジェンスだ。
 人間兵器は何も映画やSF小説の中だけに限った話じゃないんだ……僕がここにいることでも、それは証明される。

 ネオは笑みを深くした。

――僕のことや遺伝子研究のことについてこれ以上語る必要もないだろう。全くもって、君には関係のないことだからね。
 問題なのは、遺伝子操作で作られた人間の生殖機能が極めて低いこと。染色体が普通の人間のものとは違うからなのか、人間兵器の勝手な増殖を防ぐために科学者が特殊なをさしたのかは、知らない。
 知らないけれど、僕の遺伝子は普通のXX染色体の生殖細胞には上手く作用しないんだ。僕は悩んだよ。僕の最終目標を達成するには同じ遺伝子を持った仲間が何人か必要だ。
 そこで僕は、何人ものXX染色体を持つ人間を集めて交配実験を行った。砂漠の中で米粒を見つけるような一縷いちるの望みにかけて、僕の遺伝子に適合する女がこの世に存在していることを願って、何年も、何年も繰り返した。そこで見つけたのが彩と凛の母親、葵だよ。厳密に検査をした結果、彼女もまた突然変異的に発達した特殊な遺伝子を持っていた。もっとも、僕が葵を発見したとき、彼女はまだ七歳で、身体はもちろん発達途中だった。

――僕は十年、待ったんだ。葵の遺伝子が成長するまで、十年だよ。それなのに、もう少しで実験が開始されるってときに、葵のやつ、逃げ出したんだ。孤児だった葵を拾い上げて、大切に育ててあげたのは僕なのに、その恩も忘れて日本へ逃げてしまった。そこで、君なんかと――。


 一瞬、ネオは心の底から殺意を込めて俺を睨んだ。俺の方も殺気立っていたが、それ以上にネオの膨大な怒気に当てられて一瞬身震いしちまった。
 人間兵器だかなんだか知らないが、とにかくこの子供は相当イカれちまってるってことくらいは分かったよ。さっきから黙って聞いてりゃ、ネオの話すことと言ったら、遺伝子がどうの、交配がどうの、動物レベルに等しい、反吐へどが出るような戯言ばかりだ。
話自体はとんでもない夢物語だったが、俺にはネオのやろうとしていることが薄々予想できちまった。
 彩と凛の可能性……ここ一連の出来事は、最初からそれが目的だったんだ。ネオは葵が使い物にならないと分かると、今度は第二の葵にのぞみを託そうと目論んだ。俺も、葵の死も、笹川組も、全てはそのことのために利用されていたんだ。
 つまり、このクソガキは俺の娘を……。
 俺は込み上がる吐き気をどうにか喉元でこらえることに精いっぱいだった。葵が失踪した当日、病院に書き残された手紙の文面が、目の前にありありと浮かんできたよ――「子どもたちが、わたしと関わってはだめ。子どもたちを隠して」。
「イカれてる……!」
なんとか口をついて出た言葉はこのくらいだ。それでも、何度も言ってやりたかった。イカれてる! イカれてる! イカれてる!
 ネオは相変わらず笑っていた。
「やってみないと分からないよ。僕がただの頭のおかしな理想論者なのか、それとも彩や凛が戦闘力の極めて高い怪物を身ごもることができるか、やってみなきゃ分からない」
「ふ、ふざけんなっ! 彩も凛もまだ六歳だぞ! ちくしょう! 殺してやる!」
目の色を変えて怒鳴り散らす俺を見て、ネオは腹を抱えて笑ったよ。
「いやだなあ、正宗。すぐに実験を行うとは言ってないだろ。この実験を行うには、今のあの子たちの身体では、あまりにも負担が大きすぎる。しょうがないけど、新たに十年、待つしかないみたいだ」
 時間が経ったせいで体中に走っていた電力も弱まってきた。俺は力を振り絞って体勢を立て直し、ネオを撃った。
 銃弾はネオの身体を貫通して、玄関のドアにめり込んだ。しとめた、と思ったが、自称・人間兵器のガキは、ずば抜けた体力の持ち主だった。腹を打ち抜かれても、顔色一つ変わらない。それどころか目にもとまらぬ速さで俺の左手のマカロフを蹴り飛ばすと、ネオは俺の首筋目がけて50万ボルトの電流をまた流しやがったんだ。皮膚の薄い部分に当たったからか、さっきよりも凄まじい衝撃が俺の体中を駆け巡って、あっけなく俺は気を失った……。


「マサムネ、ちょっと待て」
たまらずフィアスは正宗の言葉を遮った。いつの間にか、こめかみにイヤな汗が浮いていた。
「そんな馬鹿な話、信じられるか。ここは映画館のスクリーンの中じゃないんだぞ」
全てが信じられない。人間の遺伝子組み換えが成功していることも、人間兵器の存在も、そして龍頭凛が今となってはただ一人残された、ネオの遺伝子適合者だなんて。そんな話が、あるはずない。正宗はこんなときにブラックジョークか?
 しかし、フィアスを見据える正宗の眼は真剣だ。
「俺は真実しか話してねえよ」
「だけど……そんな話が現実に起こりうるはずがない。そんなサイコな話が……」
そこでフィアスはふと考える。サイコ……〈サイコ・ブレインいかれ頭〉。
もしかしたら、〈サイコ・ブレイン〉の名前の由来はここからなのか? いや、まさか。それは深読みのしすぎだ。
「俺だってそんな戯言を信じているわけじゃねぇ。人間兵器だなんて、馬鹿馬鹿しい。だが、ネオのやつはかたくなに信じているんだ。本気で交配実験ってやつをする気でいる。それがどんなものなのか俺には分からないが、葵の最期を見るに、キモチイイことってわけじゃなさそうだ」
フィアスは膝の上に置かれた拳を固く握りしめた。
今すぐにでもここを抜けだして横浜に戻りたかったが、まだ肝心なことを聞いていない。〈3・7事件〉の真実だ。
「……〈3・7事件〉はいつ起こるんだ」
正宗は一つ溜息をつくと、うなだれたように言った。
「彩と凛が連れ去られた夜が三月六日だ」