漂う煙と息苦しい沈黙

漂う煙と息苦しい沈黙

今、この状況を文学的情緒を交えて表現するとこんな感じだ。相変わらず煙草の煙が息苦しい。
肺の中に入る煙はなんとも思わないのに、なぜ空気中に漂う煙はこんなにも息苦しいのか。
いや、息苦しいのは何も煙のせいだけではない。

「ばか!」と怒鳴ったきり、秋は口をつぐんで何も言わない。瞳を潤ませたまま、テーブルとのにらみ合いに従事している。ただ、両手は、爪が白くなるほど力を込めて薫の両手首を抑えていた。
一方で、薫もこの沈黙をどう破ったら良いのか皆目見当がつかず、途方にくれていた。何より、手首にじわじわと鈍い痛みが広がって、思案を巡らすどころではなくなっているのだ。

「手を、離してくれないか」
爪が食い込むこと十分。痛みに耐えかねて、薫は控えめに要求した。
秋は上目にギロリと鋭い視線をくれたが、何も言わず手を離した。薫の皮膚に食い込んだ秋の爪は、少しだけ薫の皮膚を引っ張って、ピリピリした感覚を残す。
手持ち無沙汰のまま、さらに五分ほど経ってから、秋は一回深呼吸をした。
「……分かった。もういい。あたしより煙草の方が、ウェイト、大きいんでしょ」
「いや、そういうわけじゃなくて」
「そうわけじゃないって何。実際そういう事でしょ。煙草についてとやかく言われるのが嫌だから、別れたいんでしょ」
実に、その通りだ! と薫も思わず納得してしまうような理由を秋が鮮明に突きつけてきたので、薫は一瞬絶句する。しかし、それを、その通り口にしてしまうと、またもや身の危険を保障できかねるので、黙っておいた。
「あんた、刑事のくせに、妥協することもできないの。全然、人間できてない。」
秋は嫌味を吐いたつもりだったが、薫にはそれが嫌味としてとれなかった。
「むしろ、刑事は妥協しちゃいけないんじゃないのかな」
秋は一瞬驚いた顔を見せたが、すぐに呆れたような、あざ笑うような冷笑を浮かべた。
言葉は、裏腹に、温かい音色を含んでいる。
「そうかもね」

乳白色の尖った爪が、テーブルの上にある薫の煙草の箱に伸びる。