年の瀬の夜に

年の瀬の夜に

 姉から連絡があったおかげで橙子とうこは11時まで友達とおしゃべりすることができた。駅前のマックで冷めきったコーヒーとLサイズのポテトをつまみながら。高校生といえども感慨は深いのだ。お金がなくても、お酒が飲めなくても、足元の寒いファーストフード店のカウンター席でも「忘年会」がしたい。
 コスパが良い、コスパ最高と合いの手のようにつぶやきながら女三人の「忘年会」は、愚痴にぼやきに冬のセールにプチプラ化粧品の使用感に来年の福袋への期待を込めつつ終わった。大学受験と恋の話は暗黙のうちに黙殺された。
 店を出たとき、予想した以上に寒い風が吹いていた。
 一瞬だけ泣きそうになったが、すぐにまた笑顔を作って、
「良いお年を。来年もよろしく」
そして橙子は公園の前を通りかかったのである。
 「とっちゃん公園」と呼ばれる都内の隙間は、駅から横道に外れ、アパートや民家が立ち並ぶ住宅街の中にあった。
 ほの明るい外灯に照らされた遊具は、滑り台とシーソーと鉄棒とブランコのみ。ありきたりなフォルムのせいで、無個性の闇に沈んでいる……にも関わらず橙子が足を止めたのは、滑り台の上に人影が見えたからだ。それも、見知った姿の人影が。
 その人物が煙草に火をつけたとき、疑念は確信に至った。
「早乙女くん?」
 驚かせないよう、つとめて橙子は優しく声をかけたつもりだったのだが、相手は大きく肩を震わせた。振り向いた時に口から落としてしまったらしく、蛍火のような炎の色は消えていた。
「篠田サン? ……え、篠田サン?」
クラスメイトの早乙女くんは不意を突かれて狼狽うろたえた。学校の屋上で話をしているときの斜に構えた様子はない。
 橙子は少しだけ意地悪な嬉しさを感じながら、
「こんなところで何してるの?」
「篠田サンこそ」
「わたしは、忘年会の帰り。リナちゃんと、ヒトミちゃんで」
「へえ」
「早乙女くんは?」
「別に……」
「ふぅん?」
早乙女くんは滑り台を駆け下りた。そこで橙子は、彼が薄手のパーカー一枚を引っ掛けただけの寒々しい姿であることに気がついた。煙草の煙より白い息を吐き出してガタガタと震えている。
「さみぃ……」
「早く帰ったほうがいいよ」
「篠田サンこそ」
「わたし、お姉ちゃんが迎えに来てくれるの」
「さみぃ……死ぬ……」
早乙女くんは両腕を抱くようにして擦り合わせながら、白い歯をガチガチと鳴らした。
 このとき橙子は、なにか深いことをーー友達との「忘年会」では話題に上ることすらない人生に対する問いかけを一つでも発することができたなら、その後何年も覚えていられる真実を見つけられそうな気がした。それは橙子が日頃考えていることでも良かったし、早乙女くんに根ざした問題でも良かった。ふわふわと軽い高校生活の中では現れない宝石の光が、この天候、この時間、この状態、この関係の中で屈折して、きらめこうとしていたのだ。
 それは、啓示のような一瞬のできごとだった。
 橙子は言った。
「ガム食べる?」
「……ガム?」
「うん」
「いらない」
「そっか」
その後、二言三言会話をして二人は別れた。
 橙子は微妙な焦燥感に駆られていたのだが、
「良いお年を。来年もよろしく」
そう言って公園を出る頃には、ただ「さみぃ……」という気持ちだけで、何を焦っていたのか、その焦りの原因は何だったのか忘れてしまった。
 姉の待つ駐車場を目指しながら、橙子は明日食べる年越しそばに思いを馳せた。