あなたはだんだん煙草をやめたくなーる

あなたはだんだん煙草をやめたくなーる

「それと、それと、それ。あ、あと、そっちの期間限定のもください。」
 コンビニの店員は、ほんの数秒、あっけにとられたように客を見ていたが、やがておずおずと言った。
「あの……、煙草の値上がりは今日からですよ。」
「それが何か?」
「あ、いえ。」
てっきりお客が、煙草の値上がり日を一日間違えていたのかと思ったが、どうやらそうではないようだ。今日は十月一日、JTの署名運動もむなしく、殆どの煙草が百十円値上がりしてから十時間経つ。
 なぜこの日になって煙草を四箱も五箱も買うんだ? 店員は心中で首をひねりながらも、ビニール袋に入れて客に渡した。
「ありがとう。」
客は嬉しくてたまらないといった様子で自動ドアを抜ける。しばらくして「カオル!」と呼ぶ甲高い女の声が店員の耳に届いた。


「それと、それと、それ。あ、あと、そっちのパッチもください。」
 ドラッグストアの店員は、ほんの数秒、驚いたように客を見ていたが、やがておずおずと言った。
「パッチのものは、薬剤師がいないとお売りできない決まりですので……。」
「えー。じゃあ、禁煙アメとニコチンガムと電子タバコだけでいいわ。ください。」
「すみません。」
 両手に余るほどの禁煙グッズを打ちながら、禁煙には遅すぎるんじゃないか? と店員は思った。今日は十月一日、煙草税が値上がりして十時間経つ。
 大抵のお客は煙草増税が決定されるか否かの段階で禁煙グッズを買っていった。値上がりする前に段々と本数を減らしていくという作戦である。しかし、このお客は女性だ。禁煙の仕方が良く分かっていないのだろう。それならば手当たり次第に、禁煙グッズをまとめ買いしたことも頷ける。
「ありがとう。」
客は嬉しくてたまらないといった様子で自動ドアを抜ける。しばらくして「アキ」と呼ぶ低い男の声が店員の耳に届いた。


 河野薫がコンビニのドアを抜けると、真向かいのドラッグストアから出てきた澤田秋に鉢合わせした。
 聞けば、これから薫の家に向かうつもりだったらしい。そういえば、十月一日はお互い仕事が入っていないので、会おうという約束をした……が、それは一ヵ月も前のこと。
 約束のことなどすっかり忘れていた薫は、煙草が切れたので近所のコンビニに買い出しに出かけていたのだった。不幸中の幸い。ここで秋と鉢合わせになって良かった、と薫は思った。もしも秋がドラッグストアに立ち寄らず、自分の家に直行していたら、自分が約束を忘れていたことがバレていた可能性がある。危ない危ない……。
 そんなことを思っていると、隣で秋が手を握ってきた。目が合うと、秋は目を細めて微笑んだ。
「カオル、今日が何の日だか分かってるよね。 あたし、カオルにプレゼントしたいものがあるんだ。」

 今日が何の日か、だって?

 ……今日は何か特別な日だっただろうか?

 …………分からない。

 薫は思案をめぐらしたが、やっぱり分からない。それでも秋がこんなに嬉しそうな顔をするんだから、なにか特別な日に違いない。今までの経験から、女が幸せな表情で「特別な日」と言うのは、大抵自分の誕生日か、相手の誕生日、または二人が付き合い始めてから一ヵ月だとか半年だとか……とにかくそういう「お付き合い記念日」と相場が決まっている。
 自分の誕生日は十月三十一日だし、秋の誕生日も今日じゃない。とすると、残るは「お付き合い記念日」だと考えるのが妥当だろう。付き合ってから何カ月だっけ? 半年くらい? いや、前に自分の誕生日を祝ってもらったことがあるから、一年くらいだろうか? とにかく、今日はそういった記念日なのだろう。秋はプレゼントを用意してきたらしいが自分は用意していない……どうしようかな。
 薫はそこまで考え、左手にぶらさがったコンビニ袋に目をやった。中には様々な種類の煙草が入っている。女物の煙草もあったはずだ。この際、背に腹は代えられない。秋は非喫煙者だけれども、女物の煙草をあげよう。秋が吸わないなら、喫煙者の友達にあげればいいわけだし。もらって迷惑という事もないだろう。
 薫は秋の肩に腕をまわすと、これ以上ないくらい優しい笑顔でほほ笑んだ。
「俺もアキにプレゼント、買って来たんだ。」