もらい煙草

もらい煙草

五月二十五日、島崎元は非番だった。
日曜日が非番だというのは、ここ二、三ヶ月ぶりだ。一般的に「休日」と称される日に休みを与えられると、どこも人で満員なので逆に困る。それ故、元は手持ち無沙汰だった。
『ハジメちゃん? 今日?……ごめんね、ちょっと妹が色々落ち込んでてさ。姉として元気づけなきゃって思うの。だから、今日は会えないなぁ』
せっかくだからデートでもしようかと瑠璃子に電話をかけたが、こんな風に断られた。
くそぅ、俺より妹をとんのかよー。と元は愚痴を零したが、それはちょっとヤキモチを焼く恋人気分を味わいたかっただけのこと。本当はそれほど癪に障ってはいない。
同僚から、「元は仕事よりも恋に人生を費やしていそうだ」(男ばかりの職場で言う台詞か普通、とその時元は思った)といわれたが、案外自分は恋愛や女に関しては無頓着な方なのかもな、と感じた。

 結局、することもないので、新宿の街へ行った。山手線の緑色の電車を降りながら、何で休日まで自分の管轄に行かなきゃならないんだ?と疑問を感じた。〝何となく〟、で行動をすると不思議だ。
ホームの端っこの喫煙区域で元は煙草に火をつけた。煙を吸った途端、大量にハッカを食ったような氷結感が鼻腔を通り抜けたので、思わず元は眉間に皺を寄せた。
「河野め……」

セブンスター・ライト・メンソールは同僚の河野薫から貰ったものだった。
昨日、たまたま署の喫煙所で薫と鉢合わせ、色々と話し込んでいる間に元の煙草が切れた。自販機で買おうかと思ったところ、もうメンソールは飽きたからという理由で、薫は持っていた煙草の箱をまるまる一箱くれたのだった。
その時は好意に甘えてもらい受けたが、何も吸っていない相手の前で煙草を吸うのも何だかこそばゆく、あれから今まで一度も手をつけていなかったのだった。

それにしても、この煙草は鼻に来る冷たさが半端ではない。さすが、キャッチフレーズが「突き刺さる、強メンソール」(マルボロー派と言えども、元もこのポスターは見たことがある)だけあって、鼻に何かを突き刺されたような感覚がする。
「目が冴えた」
ゴミ箱型の灰皿が近くにあったが、思わず地面に捨てて、足ですり潰してしまった。

新宿の西口を出ると、やはり人で賑わっている。しかし平日でも人の多い新宿、元はあたかも通勤しているような感覚に襲われた。
駅を出てしばらく進むと、パチンコゾーンに入った。客が出入りするたびに自動ドアは忙しく開閉している。よほどの防音加工が施されているのか、爆発的な玉のジャラジャラ音が、扉が閉まると同時に殆どシャットアウトされた。
元はそこを素通りする。
同僚から、「元は給料を全部ギャンブルに費やしていそうだ」(男ばかりの職場はどうしてこういう話ばかりになるんだ、とその時元は思った)と言われたが、ギャンブルなぞのめりこんだこともなければ、パチンコ台になど座ったこともない。案外、自分はお堅い人間なのかもな、と初めて感じた。
女がいなければどうにもならないように見えて、実はそうでもない。根無し草のような生活をしているように見えて、結構全うに生きている。
他人から見られる自分と、自分が思っている自分とはかなりの相違があるようだ。
別に統一しようとも思わない。それはそれで楽しい。

「よろしくおねがいしまぁーす」
あるビルの下で、二十代前半くらいの女の子から棒付きのアメを貰った。
デリヘルの宣伝にしてはポケットティッシュじゃないなと思いつつ、アメに貼り付けてあった広告を見ると新しく開店したメイドカフェのようだった。
そういえば、アメを配っていた女はどことなくアニメチックなコスチュームだった。あれが今流行のメイド服というものか。殆どデリヘルと変わらないじゃないか。
元は昨年十二月に、ああいった秋葉原発端のアニメな店で痴漢を捕まえたことを思い出した。
メイドな従業員が相次いで同じ痴漢にあっている。このままだとエスカレートするかも知れないからどうにかしてくれ、という無茶苦茶な通報があったのだ。
痴漢はあっさり捕まったが、これは(一部の人間だけだが)性的関心をそそる格好をしている被害者の方にも非があるんじゃないかと元は思ったのだった。
 舐めたアメは水で薄めた砂糖にほんのりレモンを加えたような味がした。貰わないほうが良かった。

やがて、ある店の前で元は足を止めた。そこは骨董品屋のようで、たくさんの古めかしい品物がショーウィンドウに並べられていた。
高そうな皿や坪が並ぶ中に一つ、風変わりなものがあった。
「なんだこれ? パイプか……?」
茶色く、つや光をしているパイプだ。吸い口がひらがなの「し」の字にカーブしている。まさしく名探偵が銜えるような形。
殆ど衝動的に九八〇円のパイプを買った。骨董品屋の主人はえらく気前の良い男で、パイプの中に入れる煙草の葉をサービスでつけてくれた。
自分で買って自分で驚いた。

「何か今日は、意味わかんねぇ一日だ」
帰り道、また緑の電車に乗り込み、元は呟いた。
メンソール煙草にぎょっとして、メイドからアメをもらって、骨董品やで煙草を買う。奇妙な休日。
一際わけの分からないのがこのパイプだ。なんでこんなものを買ってしまったのか。これが文字通り「衝動買い」という奴か。
しかし、早くも厄介払いしたくなった。
自分は刑事であって探偵ではない。
そして銜える煙草はメンソールではなく、マルボローなのである。