マキちゃんの完全犯罪

宙に投げ出された安達さんを受けとめる係が私だった。

安達さんが吹っ飛んできたときの衝撃はすさまじく、体操用マットの裏側からもその波動が伝わってきたくらい。

ぼーん! どすんっ!

文字にするとあんまり迫力がないけれど、まさしくそんな感じだった。なにせ教室の端から端まで飛ばされちゃったんだからね。

あとで人から聞いたところによると、安達さんてば空中で一回転したらしい。

そして、その後五分ほど2年B組の時が止まった。誰も何も喋らなかった。

そうっと下を見下ろすと、安達さんは逆さまになってマットの上に倒れていた。マットを傾けるとずるずると床に滑り落ちた。

めくれあがったスカートからパンツが見えた。

お母さんが買ってきてくれるような三枚980円のセール品じゃなくて、私なんか手に取ることすら恥ずかしくてできない複雑なレースがついてるピンク色の大人っぽいパンツだった。こういうのを「ショーツ」って言うんだろうなって思った。

あんまりジロジロ見ちゃ失礼だと思ったから、すぐに目をそらしたけど。

さて、時を止める能力者であり、この事件の主犯格であるマキちゃんの姿が見当たらない。教室中がざわめきだし、悲鳴を上げながら安達さんと仲良しの女の子たちが安達さんを助け起こす頃には私もそそくさと廊下へ逃げ出していた。

どんくさい私だから、何人かのクラスメイトに姿を見られたかも知れないけれど、まあいいや。

だってクラスメイトたちが束になって天秤台てんびんだいの上に乗っても、マキちゃんが片側に乗りさえすればその重みで傾くもん。

ああ、それは私の心の天秤台。例えばの話なんだけど、実際にそんな天秤台をバラエティ番組で、でんじろう先生とかが作ったとしても、きっとマキちゃん側に針は傾くだろう。

マキちゃんは中学二年生にして女子柔道部の主将で、その身体はクマのように大きく、体重はクジラのように重い。

全国大会に多数出場、小学生の頃から数々の大会で賞をバンバン取りまくり、マキちゃん家の玄関にあるガラスケースはトロフィーと盾で埋め尽くされている。

女の子から頼りにされ、男の子からも頼りにされ、先生から力仕事を任されれば断れない、みんなの優しいマキちゃん……。

マキちゃんの向かう先は分かっていた。

私達が今回の作戦を練るときによく使っていた屋上だ。

案の定、私が扉を開けると、マキちゃんは屋上のフェンスの前に立って空を見上げていた。

肩で息をしながら、

和歌子わかこ、やったよ。私……やった……」

そしてマキちゃんは、手で顔を覆ってしくしくと泣き出したのであった。

マキちゃんの泣いているところなんて、一年前の大会で優勝したあとにテレビの取材を受けているとき以来だったからとても驚いた。

「マキちゃん、泣かないで。マキちゃん、やったじゃん。安達さんを倒したんだよ。泣くことなんてないじゃん」

一生懸命、なぐさめたつもりだったんだけど、マキちゃんは大きな身体を震わせたまま泣き止まない。テレビの中のマキちゃんは素早く一瞬、涙を見せただけだったのに。

そうだ。マキちゃんが落ち着くまで、これまでのことを話そうと思う。

事の発端は、花田が安達さんと付き合いだしたことだった。

同じクラスの花田徳利はなだのりとしは私とマキちゃんの幼馴染で、まあ、そんなにイケてない。

天然パーマ。色黒。メガネ。漫画研究会に所属していて、絵は割と上手なんだけど、美少女ばかり描きまくってて、巨乳が多い。

たぶん、裸とかも描いてんじゃないかなー……。

あ、そんで、マキちゃんは花田のことが好きだったんだ。

クラス一カワイイ安達さんが、花田と付き合い始めたの、何かの冗談かと思ったんだけど本当の話で、マキちゃんはかなりショックを受けてた。花田の舞い上がり方は半端じゃなくて、授業中でも安達さんにかまってほしくて、こっそり携帯いじってたところを先生に見つかって没収されたりしていた。

そして付き合い始めて一週間後に安達さんにフラれた。

教室で、みんなの前で。

やっぱ、冗談だったんだって。

それで私達は花田の仇を討つために、一ヶ月前から安達さんをやっつける作戦を考えてた。

もちろん、安達さんが怪我しないように、投げ飛ばす角度とか、タイミングとか、事前に「これからアナタを投げ飛ばします」って宣言して投げ飛ばすとか、安達さんが飛んだ先にマットを敷いておく(ここ、私の役目)とか、入念に下準備をした。

そして見事、作戦は成功した。

よっしゃ!

マキちゃんが泣き止んだ。

ポケットから花柄の女の子らしいハンカチを取り出して顔を拭う。そして言った。

「私、花田のことなんて、どうでも良かったんだよ」

「えっ、マキちゃん、好きだったじゃん」

「でも花田、女の裸とか描いてるし」

「あー、やっぱり」

「ううん。そんなことはそうでも良くて、花田のこともどうでも良くて」

はあぁっと溜息を吐き出し、ようやくいつものマキちゃんに戻ったようだ。私の好きな、落ち着いた低い声が神様の息吹みたいに静かな世界に流れる。

「私、安達さんを投げ飛ばしたかった。これは、なんていうの? カワイイ女の子に対する嫉妬? でも、それだけじゃなくて、私、私は……事実を作りたかったの。カワイイ女の子を投げ飛ばせるって。優しいとか、頼りになるとか、柔道が強いとか、そういう事実をくつがえす事実が欲しくて、安達さんを利用したんだよね。あと花田も。教室にいた目撃者たちも。和歌子さえも。

利用できるもの全部利用して、私は私じゃない私になれるって事実がほしかったんだよね」

「マキちゃん……それは、どういうこと?」

「和歌子には分かんないよね」

「分かんないよ、マキちゃん。でもそれは、あんまり良くないことのような気がするんだけど」

「そうだよ。悪いことだよ。犯罪だよ。柔道家の風上にも置けない行為だよ」

「だよねー」

自分の言っていることが間違っていなくて私は笑ってしまった。笑ったのは間違いだったけれど、マキちゃんも今までに見たことのない笑い方で笑っていたので、笑うしかなかった。

教室に戻ろうってマキちゃんが言わなければ、世界が終わるまで私は笑っていたかも知れない。

マキちゃんが安達さんを投げ飛ばしたことは事実で、私がマキちゃんの投げ飛ばしに加担したことも事実で、しかし私達は許される。

だって花田が安達さんにひどいフラれ方をしたのも事実だし、私達が「花田の仇を討ちました」って主張すれば、それも事実になるんだから。

私達、安達さんからは嫌われると思うけど、ほとんどのクラスメイトはきっと許してくれる。

花田なんて単純だから、マキちゃんのことを好きになるかも知れないし。

だけど、マキちゃん……。

マキちゃん……。

マキちゃん。

「マキちゃん!」

私の呼びかけに、マキちゃんは足を止めてくれて、振り向いてくれて、いつもみたいに優しい笑顔で「和歌子、ごめんね」って謝ってくれて、「皆になにか言われたら、和歌子を巻き込んだの私ですって言うから心配しなくていいよ」って言ってくれて、私は頼もしい背中についていけばそれで良くて。

マキちゃんはすっかり、完全犯罪者だった。

2019.11.12