ランディーは墓場へ行く

スタンリー中央銀行に強盗が押し掛けたのは、先々週の金曜日だった。

ええ、先生大丈夫です。心配しないで、ちょっと立ちくらみを起こしただけ。最近、眠くて……眼の前に白くて薄いフィルターが掛かったみたいになってしまって、物を深く考えられないんです。僕がこうして先生に会いにきた理由すら、もう分からなくなってしまって、嗚呼、考えれば考えるほど、何もかも分からない。自分が今どんな気持ちでここに立っているのかすら。

視力も聴力も前よりずっと悪くなりました。各所の感覚器官から送られる電気信号が脳の髄まで響いて来ないんです。何を見ても、心がふるえないんです。先程申し上げました通り、起きている間中、眠くて……本当に。ちゃんと睡眠は取っているのですが……やっぱり、毎晩見る、あの夢がいけないのかな。

ああ、先生! あなたに会いにきた理由を思い出しました。僕は先生に、毎晩見る夢の事をお話ししに来たのでした。すごく気味の悪い夢で、いい加減気が狂ってしまいそうです。どうすればあの悪夢から解放されるのか、途方に暮れて、それで先生のところに来たのでした。お願いです。どうか話を聞いてください。そして僕を助けてください。

すみません、お話の前に、一つだけ欠伸を……。

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僕は毎晩同じ夢を見ます。もう一カ月になります。僕は墓場にいるんです。辺りは真っ暗ですが、ただ一つ、頭上にぽっかり浮かんだ満月の青白い光だけが怪しく、猫の目のように煌々とした輝きを放っています。遠くから聞こえるフクロウの鳴き声のほかは、辺りはしんと静まり返っていました。時折、生暖かい風が身体のすぐ横を吹き抜けて彼岸の彼方へ消えていきます。

夢の中で嗅覚が働くと云うのもおかしな話ですが、僕はいつも間近に墓土の湿ったにおいを感じていました。墓土はほんの少しだけ生臭く、屋根裏のように埃っぽい臭いがするものです。何故、そんなことが分かるのかって? 僕はこげ茶色の墓土にうんと顔を近づけて、一心不乱に穴を掘っているんですもの!

僕は何やら焦燥感に駆られていました。まるで墓の下に埋まっているのは死者ではなく死に損なった生者であり、僕は彼を助けだそうとしているかのようでした。もしくは、冒険小説に出てくる主人公のような気分で、墓の下に埋まっている宝物でも掘りだそうとしていたのかも。とにかく僕は爪の間に墓土が侵入するのも臆することなく柔らかい土壌につき立て、黙々と墓を掘っているのです。

ただし、夢の設定状況が満月の真夜中に墓場で穴を掘っているというだけで、意識はちゃんと自分の中にありました。墓場の悪夢を見始めて三日目に、僕は夢の中で自分の思ったとおりに行動できるということを知りました。僕は起きている時と同じように自分に命令を下すだけで、三日の間、墓を掘り続けていた手を休めて、じっくりと墓石を眺めることができたのです。そして驚くべき事実を、発見したのです。

目の前に佇む墓石、それは僕の祖先が代々眠っているパドリック家のものでした。十字架を象った墓標の中心に「R.I.P(安らかに眠れ)」という決まり文句が彫ってあり、その下に小さく僕のひい爺さんとひい婆さん、爺さんと婆さん、そして六年前に死んだ父親の名前が記してあり、それぞれ生年月と没年月が刻んであります。紛うことなく僕の家の墓石でした。ランディーという僕の名前が刻まれていなかったことが唯一の救いです。

陳腐な悪夢によくあるように、自分で自分の墓を眺めるというような悪い冗談がなかったので安心しましたが、そうなると僕は一体なんのために自分の家の墓を掘っているのでしょう。いや、もしかしたら墓を暴いているのかも知れない。あるいは別の誰かの死体を埋めようとしているのかも……もちろん、その辺りは、よく分かりませんし、分かりたくもありません。とにかく僕は、この悪夢から解放されればそれで良いのです。先生、どうかお力をお貸しください。もう二度と、あんな悪夢は見たくありません。僕は毎晩、安らかに眠りたいだけなのです。

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おや、先生、どこへ行くというのです。ここは僕らの話していた場所のすぐ裏手にある、小さな野菜庭園ではないですか。建物の蔭になっているので、暗くジメジメしていますね。土は柔らかくならしてあるのに、こんな日蔭では野菜が育ちません。こげ茶色の土の上に、野菜の芽は一つも生えていませんね。ここはなんだか嫌な感じがします。言葉では上手く言い表せませんが、僕はこの場所がとても嫌いです。なんだか気分が悪くなってくるんですもの。なんとなく、この裏庭に一度足を踏み入れたら、二度と出てこられないように感じるのです。とても気分が重い、体が重い、息ができない……押しつぶされる。

しかし、懐かしさがこみあげて来るのも事実です。蔭になっている建物を見上げると、そこには大きなステンドグラスが嵌められているようですが、あれはイエス・キリストでしょうか。十字架に磔になった格好のキリストがこちらを見下ろしていますね。ということは、ここは教会なのでしょうか。僕たちがさっきまでいたのは、教会の中だったのですね、先生。それにしても、どうして僕は教会にいたのでしょう。ああ、思い出せない。思い出せない。

僕は先生に悪夢の相談に来ただけなのに、何かもっと大事なことを忘れているような気がするのです。本当に大事なことです。僕の命にかかわるほど、大事なこと。ああ、眠い。思い出せない。一体僕はどうなってしまったのでしょう、先生。この野菜庭園、嫌な感じがするけれども懐かしい。僕は必死に墓土を掘っている。掘っている、掘っている……土を、墓土を。嗚呼。先生、思い出しました。とても大切なことを僕は、思い出しました。命に関わるほど大切で、悲しいことを、思い出してしまいました。

僕はこの野菜庭園の土の下に埋められたのでした。今もまだ、その中に横たわっています。そもそも、この土は野菜庭園の土壌ではない。僕を埋めるため、ニックが用意した土くれでした。

そうでした。やっと全て思い出しました。僕はニックに殺されたのでした。薬で眠らされ、ここに生き埋めにされたのでした。僕が墓土を掘っていたのは、瀕死の生者や宝物を掘りだすためではない。僕自身を、その中に埋めるためだったのです。死んだのならば、せめてパドリックの先祖代々の墓に入りたいと、僕が僕のために掘っていた墓穴でした。墓石に僕の名前は書かれていない。それもそのはず、死体は発見されないまま、僕は今でも行方不明者扱いです。墓標に名前が刻まれることは愚か、葬儀だってまだ行われていないのです。ああ、眠い。先生、先生。どうか僕を助けてください。このままでは僕は、埋める死体もないままあてどもなくパドリック家の墓穴を掘り続けることになってしまう。どうか、僕の死体を掘りだして、僕の家の墓穴に埋めてください。墓穴に、墓穴に。ああ、眠気が耐えられない。何も考えられなくなりそうだ。また今晩も眠ってしまう。何も考えられない。何も思い出せない。明日、悪夢から覚める頃には、何も思い出せない。ああ、眠い。先生、先生、ああああ、僕は何を今まで考えていたのだろう。思い出せない、思い出せない。とにかく墓穴を掘らなければ。また今晩も掘らなければ。違います、それは悪夢の話です。僕は、本当は墓穴を掘っていない。あれは全部悪夢の中の出来事で、僕が毎晩見る夢の話です。

……そうです、そうでした。あなたに会いにきた理由を思い出しました。僕は、先生に悪夢の相談にきたのでした。すごく気味の悪い夢で、いい加減気が狂ってしまいそうです。どうすればあの悪夢から解放されるのか、分からなくて、それで先生のところに来たのでした。お願いです。どうか話を聞いてください。そして僕を助けてください。

2010.1.1