仔猫の事務所

 
 軽便鉄道の停車場のちかくに、猫の第六事務所がありました。しかしそれも今となっては昔のことです。

 くだんの事件があって「猫の事務所」が閉鎖されて数年後、新たに一匹の仔猫がこの事務所を再建した。仔猫は優秀な大学を卒業したにも関わらず、職に就かず勝手気儘な生活を送っていた。というのも、この猫こそあの事件の中心人物・四番書記の竈猫の甥であり、彼もまた暖炉に潜り込むことを日課としている竈仔猫かまどこねこだったのである。
 竈仔猫は竈猫から働くことのいかに残酷かを吹き込まれ育ったので、労働に対してすっかり臆病になってしまっていた。おまけに煤だらけの姿のせいでどこへ行っても苛められた。世知辛い猫社会を他猫と上手くやっていくことなど竈一族には不可能だった。
 だからこそ、竈仔猫は「仔猫の事務所」を立ち上げたのである。
 この「仔猫の事務所」は業務こそ以前と同じものの、体制は従来のものとは大きく異なっていた。従業員は竈仔猫しかおらず、所長も一番書記も二番書記も三番書記も、すべて竈仔猫が一手に引き受ける、いうなれば個人事務所だった。真っ赤な羅紗もボロボロになった署長の事務机の上に大きなパソコンをとりつけると、日がないちにち猫の歴史と地理を調べるのに掛かりきりになった。
 叔父である竈猫が現役だったころは、誰もが調べ物をする際に猫の事務所を利用したものだが、高度に文明が発達した今、事務所の扉を叩くものはめまぐるしい情報社会に取り残された古き時代の猫だけだった。例えば竈猫の時代によく事務所を利用していた「ぜいたく猫」はぜいたくな物を食べ過ぎて痛風に掛かり、今では持病に利く温泉施設などを問い合わせにくるのだった。
「この前の利き湯はまったく効果がなかったよ。マグネシウムの多く入った温泉を教えておくれ」
「それならベーリング地方にあるキキネコ温泉が良いようです」
パソコンの画面で顔を隠すようにして竈仔猫はもごもごとしゃべった。
「五ツ星のレビューもたくさん書かれておりますし」
「べーリング地方なら以前にも行ったことがあるよ。わしは氷河鼠が大好きでな、昔は両手に抱えて食べたものだ。はて、旅行についての注意事項はどんなものだったかな」
「それは……パソコンに載っていないので、わかりません」
「わからないというのでは困るよ。馬肉につられたり、黒狐と間違われて追跡されたりしたら一大事だよ」
「たぶん、きっと、おそらくは、問題なしと思われます」
 ぜいたく猫はしばらく怪訝な顔で竈仔猫を見つめていたが、静かに踵を返すと仔猫の事務所を出ていった。
 このように竈仔猫は都合の悪い質問に言葉を濁すことが多かった。辞書のない仔猫の事務所は、データべースに記載されていない質問に答えようがなかったのである。また対猫恐怖症が災いして、竈仔猫は問われたことを一言で締めくくろうとする癖があり、より詳しい説明を求めたところで石のように固まって一言も口をきくことができなくなってしまうのであった。

「お前は何をしているか。そんなことで地理も歴史も要ったはなしでない。やめてしまえ。えい、解散を命ずる!」
 いい加減な事務所の噂を聞きつけて、金の獅子が竈仔猫を叱りに来くると、叔父の竈猫と同じように竈仔猫はしくしくと泣き始めた。泣いたままその場を動こうとしないので、「出ていかなければ、お前のことを食べてしまうぞ」と脅しをかけていた獅子もほとほと困り果ててしまった。
 竈仔猫は泣き続け、頬を流れる涙が体中の煤を落とすと見事に毛並みの整った美しい仔猫が現れた。以前に竈猫から竈に入って眠る癖のある猫たちのことを聞いていた獅子は、ふと思いついたように竈仔猫の家へ行き、あっという間に新しい竈を作りあげてしまうと、竈仔猫のねぐらを煤で汚れていない新しい竈に移し替えた。
「解散を見逃す代わりに、竈仔猫は今夜から新しい竈で眠ることとする! 新しい竈は睡眠用にきれいにしておき、料理などの諸生活には以前の竈を使用すること!」
 それからというもの、竈仔猫は見違えるように美しくなり、街中の評判となった。事務所の仕事は依然と同じものの、美しい竈仔猫見たさに老いも若きも事務所に押し掛け、仕事はたいへん繁盛した。若い猫たちは仔猫の事務所で知り合った老猫たちにパソコンの使い方を教え、誰もが仔猫の事務所なしでも遠方へ旅行に出かけたり、偉人の生涯を調べられるようになると、竈仔猫は事務所を畳み、利益を元手に新規ビジネスをたちあげた。
 そう、獅子が竈仔猫にしたように、竈型のベッドを開発し、世界中の竈猫たちにきれいに身づくろいすることを教えたのである。竈仔猫のおかげで、あからさまな竈猫差別はなくなり、誰もがお気に入りの場所で素敵な夜を過ごすことができるようになったのだ。
 叔父である竈猫も竈仔猫の仕事を手伝うようになり、今では忙しい日々を送っている。
  

 

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