外は大洪水

四年間降り続いた雨は六つの大陸を覆い尽くし、地球を四十億年前の姿に戻した。
一年間で大人たちは準備をし、あたしたちを送り出した。深い、深い、海の底へ。
家族はたぶん、死んでしまったと思う。お父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃん、それにペットのハムスターたち。こんなこと考えたくないんだけど、あえて口にするのなら。
話題を変えよう。あたしは今、大きな卵の中にいる。
ちょうど地上で暮らしていたときの、自分の部屋と同じくらいの大きさの卵だ。卵は潜水艦になっていて、丸いのぞき窓から外の様子が見える。
ほとんど水ばかりだけれど、たまにイルカやカメなんかが泳いでいる。海の生き物は世界の終わりなんて気にも留めていないみたい。
部屋の片隅には冷蔵庫があって、小さく真空パックされた食料が一年分くらい詰まってる。体調を崩した人のためにどんな病気も治癒するカプセル剤も二千粒くらい持たされた。
インターネットの掲示板では、これは麻薬なんじゃないかって噂が飛び交ってる。説明書を広げてみても、英語だからなんて書いてあるのか分かんない。
卵型潜水艦を与えられたのは十代の子供たちだけだった。
若い世代に未来を託すとかなんとか言って大人たちは名誉の撤退を選んだ。
それでも十代の子どもたち全員が生き延びるには潜水艦の数が足りなくて、だから頭の悪い子たちは容赦なく足切りされて今頃は海の底に沈んでる。クラス平均よりちょっと頭がイイくらいだけど、ちゃんと勉強しといて良かった。
雨は相変わらず降り続いているらしい。それどころか、雨水に溶けた世界中の有害物質が大気を汚染して、とても人が暮らせるような環境ではなくなっているらしい。
雨が止んでも安易に外へ出てはいけないと、ロシアの女の子から警告メールが届いた。この問題はあたしの国の科学者たちで解決するから、と。
いまさらだけど、いつだって頭が良くて誠実な人たちが世界を前に進めてくれるんだから、あたし勉強しなくて良かったんじゃない? こんなことになると分かっていたなら受験勉強につぎ込んだ一年間を遊んで過ごせば良かった。そうやって苦しいことを先送りにした子たちはみんな死んでしまったけれど、卵の中に生き埋めにされている今、どちらが幸せな人生なのか分かんなくなっている。
卵型潜水艦には食料の他に電気も蓄えられている。限りがあるからあまり使わないようにって大人たちから言われていたけど、携帯電話が使えないと死んでしまう。
世界が沈んでしまってから、小学校や中学校の同級生と久しぶりに話をした。
どの子もみんな死ぬほど退屈していて、誰でもいいからまだ知らない電話番号を教えてとせがんだ。
とりとめのない話を何日もだらだら続けたあと、そーいえばって何気ない風を装ってケイタの消息を尋ねた。どの子も洪水が起きてからケイタと話をしていなくって、彼のツイッターも更新されていないからひょっとして足切りされて海に沈んだんじゃないかって話だった。サッカーバカのケイタは朝も夜も部活で忙しかったから、勉強なんてする暇なかったんじゃないかって。
なるほど、そうかもねって話を締めくくったけれど、それから一週間くらいずっと心がモヤモヤしていて、あるとき動画を漁っていたら思い誤って泣いてしまった。
それは、もうこの世に一匹たりとも存在しない猫という生き物の一個体がサッカーボールに乗ろうとして転げ回っている動画だった。
なんて単純な思考回路だろうと、散らかしたティッシュをゴミ箱に捨てながら思った。
それから、世界が世界たりえたの日の放課後に突然天から降ってきたみたいに届いたメッセージを読み返してみた。
何度も何度も読み返しても、やっぱりそこには紛うことなく恋とか愛の類のことしか書かれていない。
そしてその返信に、既読のサインは浮かんでいなくって、一体何万個の携帯電話があたしと同じような状態で既読の文字を待っているのだろうと考えると、今すぐ潜水艦のふたを開けて、二百メートルくらい猛ダッシュで駆け出したくなってしまうのだ、ついさっきまで目の前に広がっていたものの方へ。

外は大洪水

2020.07.24