ブルーフェアリー

スタンリー中央銀行に強盗が押し掛けたのは、先々週の金曜日だった。

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僕が目を覚ましたのは、深夜の十二時近かった。肌にまとわりつく、粘着物質のような夜の冷たさに、僕は身体を震わせた。

僕が眠っていたのはまるで屋根裏のように汚いボブの部屋だったが、そこはまさしく屋根裏を改造してできた格安の借家なのだった。

遠くに見える灯台の光が、ベッドのすぐ近くにあった窓を横切り、街じゅうを一回りして戻ってくる。僕が目を覚ましたのも、窓を横切った灯台の光が僕の瞼の端っこをも横切ってしまったからだろう。

僕は伸びをすると、温かい毛布からゆっくりと滑り下りた。音を立てたくなかったのは、隣で眠っているボブを起こしたくなかったからだ。彼は生まれた時そのままの格好でうつぶせに鼾をかいていた。

僕はベッドの周りに散乱していた洋服類を手当たり次第に身に付けていった。この暗闇の中では、どれがボブのものでどれが僕のものなのか分からなかった。ズボンと靴下が僕のサイズに合わなかったので、もしかしたらボブのものを拝借したのかも知れなかった。ただ、僕の大切なコートは入口のドアノブにしっかりかけてあったので間違えずにすんだ。コートを羽織ると僕はボブの部屋を後にした。

ボブの部屋から外へ出て行くには、屋根裏から誰かの家の二階、誰かの家の一階と順序良く降りていかなくちゃならない。僕は他の部屋の住人にも迷惑をかけないよう、階段を一歩一歩慎重に下って行った。家の中はどの部屋も明かりが灯っていなかった。内側から鍵を開けて、僕はボブと、二階と一階に住んでいる人びとに心の中で別れを告げた。

ボブの家の前のストリートは外灯がほんのり照っているだけで、薄暗かった。コートのポケットをまさぐるとアメリカンスピリットが出てきた。これは僕がボブの家に来てすぐにボブから貰い受けた物だ。僕は煙草をくゆらせながらゆっくりと町を徘徊した。この辺りは治安が良いので人間に限らず家もマンションも寝静まっている。僕のような与太者は誰ひとりいない。

ところが、ボブの家から二ブロックほど離れたところで、「ハーイ」と声を掛けられた。見ると、僕の鼻の先に蝶の羽をもった小さな人間がぶんぶんと羽音を響かせて浮いていた。彼女の周りには青白い光が近くの街灯と同じくらいの明度で取り巻いている。

「君は誰だい?」

僕が尋ねると、彼女は「ブルーフェアリー」と名乗った。

「あたしはブルーフェアリーよ。あなたの願いを何でも叶えてあげるわ」

「本当かい?」

ブルーフェアリーは僕の眼球すれすれまで近づくとにっこりと頷いた。これはすごい。

僕はブルーフェアリーと一緒にストリートを歩きながら懸命にお願い事を考えたが、今の僕はとても幸福なので何も思いつかない。ブルーフェアリーと出会ったところからさらに一ブロックほど歩いても、僕の望は何もない。

しかし、ブルーフェアリーの親切を無下にしたくもなかったので、僕は特に嫌でもなかったのだが、ズボンと靴下についているボブの体臭をどうにかしてほしいと頼んだ。ブルーフェアリーは「OK」と言って、虫のように小さかった身体を人間の女の子ほどの大きさに変身させた。人間の姿になったブルーフェアリーはとてもかわいかった。目は大きいし、スタイルはバービー人形さながらだ。僕たちはそのまま顔を近づけて長いキスを交わした。

僕はブルーフェアリーの水着のような青いドレスをするすると脱がして、かわいいブルーフェアリーの、かわいいおっぱいに口を近づける。僕たちはクスクス笑いながら、ボブの家から三ブロック進んだ場所で、ボブの臭いを跡形もなく消し去った。ブルーフェアリーからは、ブルーフェアリーが吸っているらしい、アメリカンスピリットの香りがする。

あくる日の朝、人の賑わいで僕は目を覚ました。僕の周りにはたくさんの人間が集まって、ニヤニヤしたり眉をひそめたりしていた。僕はストリートの真ん中で素っ裸のまま眠っていて、まもなくやってきた警察官に素っ裸のまま連行された。その日のうちに行われた身体検査で、僕の尿からはマリファナが検出され、僕は暫くのあいだ警察署に留置されることになった。ここからすぐに出してもらおうと、僕は檻の中でブルーフェアリーを探してみたが、彼女はどこに行ってしまったのやら、二度と姿を現すことはなかった。

それから一週間も経たないうちに、僕は釈放された。初犯だったからだろうか、警察署の玄関まで僕に付き添った老齢の刑事は最後にこう言い残して消えた。

「次は上手くやるんだな」

それから三日後に、僕はアメリカンスピリットを――ボブの作ったマリファナを貰いにボブの住む屋根裏部屋へと足を運んだのだが、ボブはいなかった。二階に住む人たちはボブが「二日ほど前に出て行った」と言った。一階に住む人たちは、インド語を話すので、何を言っているのか分からなかった。

僕は再びボブの住んでいた部屋へと戻って来た。灯台の光が掠める窓辺に近づくと、そこにメモが張り付けてあるのに気がついた。

『ブルーフェアリーは品切れ』

そこには彼の筆記でこう書かれていた。そこで僕は気づいたのだ。

ボブが自作のマリファナを「ブルーフェアリー」と呼んでいた事に。

2010.7.4