「曼荼羅ガレージ」の外へ出ると明るい月が照っていた。 即座に稼働し始めた微かな機械音の出所を辿ると、監視カメラが俺の姿を捉えた。 このカメラには見覚えがある。かつてネムルが俺の妹のために作ってくれた、顔認証付きの監視カメラだ。 見知らぬ人間に対しては強烈なビームを発射するという容赦ないオプション付き。 攻撃に備えて身構える……しかし何事もない。 昔の俺の顔を認証したんだろう。さすがネムルの発明品だ。 俺……あの頃に比べてずいぶん変わっちまったのにな。 月明かりに照らされた荘厳な門のシルエット。その中に混じるように女の影が見える。振り返ると、細い支柱の上にユークが立っていた。 身軽に飛んで、地面に降り立つ。 「楠木博士に会ったのね」 「ガラスケースの中でうとうとしていたら、いつの間にかネムルが隣にいたんだ。一体、どうなってんだ?」 「曼荼羅ガレージ≠ェ夢の世界の入り口なのよ。あの部屋がスタート地点。そんなことより博士、怒ってた?」 「怒ってない。怒らせたら存在を消されるみたいだけど」 「そんなのハッタリよ」とユーク。 「あなたの記憶が追加されたことで、ますますこの世界の輪郭がくっきりした。夢見る機械≠フ貴重な栄養源を、博士がやすやすと手放すはずないわ。それに……」 少し間を置いて続ける。 「それに私は、一度覚えた≠アとは忘れない。私が忘れない限りあなたは存在し続ける。矛盾を無視してね」 「どういうことだ?」 「ここはみんなの記憶から抽出された七年前の世界。従って、あなたは七年前の姿で存在していなければならない――楠木博士が高校生の姿のままでいるように。 ところがあなたが来る前に夢の世界ができ上がってしまった。 ここにはみんなの記憶から抽出された過去のあなたが存在している。だから、私は現実世界で覚えた≠なたをねじ込ませたの」 なるほど。事務所でやたら俺のことを触りまくっていたのは、そんな理由があったのか。 ユークは俺の周りを歩いて、その出来栄えを確かめた。 うん、と確信を持って頷く。 「実験成功ね」 「失敗したら俺はどうなっていたんだ?」 「そんなことより、見てほしいものがあるのだけれど」 ……流された。 俺たちは商業区の坂道を連れ立って歩く。かつて目にした通りの街並み。廃墟になる前のレムレスだ。 人工海岸に辿り着くと、先頭を歩いていたユークが唐突に足を止めた。 細い人差し指が示す先に見慣れない建物が見える。 眩い光が回転しながら、夜の海面を照らし出している。 「灯台?」 ……違和感。 この夢がみんなの記憶から成り立っているのだとしたら。 灯台なんてあるわけない。 現実の、俺の住む街にないのだから。 「あの灯台は、夢見る機械≠隠しているの」ユークが言った。 「内側から管理できるように博士が組み込んだのよ。灯台を操作することができれば、この夢を終わらせることができる」 「それなら話が早い。灯台に行こうぜ。その辺の水上自転車を拝借してさ」 けれどもユークは浮かない顔だ。 灯台守。 小さな唇からぽろりとその言葉が漏れた。 「灯台を操作するためには灯台守が必要なのよ。博士が持つ夢の管理権限を、私たちに移し替えるための」 「パスってなんだ? 番号か? 言葉か?」 「それが分かったら苦労しないわ」 「まったく分からないのか? 秘密の質問≠ニか、ないわけ?」 「文字ですらないかも知れない。ここは何でもありの夢の世界だから」 ユークがホールドアップする。お手上げだというように。俺も同感だ。 「探偵の仕事は探し物だが、それが分からないとなるとなあ……」 早くも俺の脳内で「♪探し物はなんですか〜」とあの曲が流れ始める。 「まったく分からないわけじゃないのよ」とユーク。 「灯台守を灯台に持っていけば……たぶん、分かると思う……」 その声は消え入るように小さい。 ネムルに聞いたところで教えてくれるはずがないし、俺たちの計画を知ったら妨害してくる可能性が高い。 彼女の目を盗んで調査しなければならないとなると、灯台守の隠し場所として最有力の「曼荼羅ガレージ」を探すことすらままならない。 ゆるやかに、万事休す。 そのとき、異変を察知した猫みたいにユークの身体がぴくっと震えた。 空を見上げて、小さくつぶやく。 「博士が、トイレに行きたがってる」 ……は? 「もっと寝ていたい。でもトイレに行きたい。寝ていたい。トイレに行かなければ。眠い。トイレ。そんな葛藤が伝わってくる。これは起きるわね。あれほど口を酸っぱくして寝る前にトイレに行きなさい≠チて言ったのに……」 ユークの顔は不満気だ。コメントのしようもなく立ち尽くす俺を見る。 その顔が、身体が、霧に包まれたように白んでいく。 「消えるわ。私達が一緒にいるところを察知されると厄介だから」 霧とともにユークの姿が消え失せると、後にはウサギが残された。廃墟レムレスで俺を道案内したやつだ。こいつも夢に入ってきたのか。 ウサギはくるりと向きを変え、船着き場へ跳んでいく。 船着き場には懐かしき水上自動二輪が停車していた。俺が高校生の頃、通学に使っていたやつだ。 レムレスを出るときに廃棄処分にしちまった愛車が存在しているとなると、ここは本当に、七年前の世界なんだ。 ……ってことは、彼女も存在している? にわかに弾む胸を抑えて、アクアバギーに乗り込む。ハンドルを捻ると、軽快にエンジンがかかった。ウサギは大きく飛び跳ねて俺の肩に止まった。 ……会いにいこう。 例え、夢だと分かっていても。 会いたい。 |