「探偵さん、こんばんは。今日は可愛いお連れさんも一緒なんだね」
カウンターの向こう側で小さな頭がぴくっと反応した。身を乗り出して覗き込むと、小学生に見えなくもないとびきり小さな女の子がぼんやりとオレを見上げていた。長い睫毛をこすりながら、眠たげな様子だ。 照り返しの激しい海砦に住んでいながら、ネムルは少しも日に焼けていなかった。水玉のタンクトップから突き出た腕は、発色の悪い蛍光灯みたいに青白く光っている。 きょろきょろと店内を見回して、 「卵焼きはどこかな?」 「卵は売ってるけど、卵焼きはないよ」 「卵焼き味のジュースは? 紙パックに入ってるやつ」 「そんなもん紙パックに入ってねーよ」 むー、とネムルは唸った。何やら文句を言いたげだったが眠さに勝てず、開いた口から欠伸が漏れた。 目をこすりながら、ネムルは店内をぶらつく。身体が指針を失ったようにふらふらしている。お菓子コーナーで大きくよろけて、チョコレートやクッキーの箱を派手に倒した。慌てて腕を取ると、ネムルは半分閉じた目で、ゆっくりとオレを仰ぎ見た。 「眠いよぅ……」 知るか! ……と思いつつ、放置するわけにもいかないので、控室からパイプ椅子を持ってきてやる。 椅子の上で、ネムルはぐで〜っと伸びる。 「お前、あんまり寝てないだろ」 「んー?」 「ここから曼荼羅ガレージ≠ェ丸見えなんだよ。セツナにバレたら叱られるぞ」 「んー……」 頷きなのか呻きなのか分からない声を出して、椅子の上に沈み込む。ネムルは沈没寸前だ……困ったな。 探偵が消えていった外を見ると、良い恰好しいのあいつはヤナの手伝いをしていた……いや、全身からハートマークを出しながらヤナの周りをぴょんぴょん飛び回っている、と言った方が的確か。探偵の頭の上には小さなウサギが乗っていて、ヤナの姿をカシャカシャと写真に収めている。 「なあ、あれもネムルの発明品?」 ネムルは片目を開けて窓の外を見た。 「メモリーラビット。データがいっぱいになると思い出が飛び出てくる」 なんだ、そりゃ。 「お前はいつも不思議な発明をするよな。誰に需要があるのか、分かんないもんばっか」 ネムルは返事をしなかった。代わりに、くすんくすんと独特ないびきが聞こえてきた。 それから数分して、探偵とヤナが戻ってきた。二人とも両手に「星屑ストア」の悪口が書かれたゴミを持っている。今日も大量だ。撤去する側も大変だが、嫌がらせをするやつらも連日ご苦労なことだな。 燃えるごみの袋に紙やら看板やらをまとめると、探偵は真面目くさった顔で腕を組んだ。 「俺の推理によると、いやがらせの犯人は三人組の男ですね。二十代半ばくらい。そのうちの一人はモヒカンで犯人グループのリーダー格と思われます」 へぇ。「探偵」と名乗るからには、探偵らしいこともするんだな。ヤナもオレの隣で感心顔だ。 「どうして犯人がモヒカンだって分かるんだい?」 「なーに、簡単な推理ですよ」ちっちっちと指を振る探偵。 「それっぽい連中とここに来る途中ですれ違ったんです」 がくっ。オレとヤナはカウンター越しに大きくずっこける。 「それ、推理じゃないだろ!」 「百パーセントあいつらの仕業だ。長年の勘で分かる」 探偵のくせに勘に頼るな! ……そんなツッコミは置いておいて。 「捕まえろよ。あんた探偵だろ」 「ああいうのは現行犯じゃないと意味ないの。それに俺は警察じゃないから逮捕権はありませーん」 ひらひらと手を振る探偵。自慢したつもりかも知れないが、それはたただの無力アピールだぞ。 オレの常識と大幅にずれているこの男に何を言っても無駄だと学んだオレはもう黙っていることにする。いたずらに労力を使うだけだ。もう少しで次のモノレールが来るってのに……。 「ところで――」 「まだ何かあるのかよ」 「お前の学校にものすごーく足の速いやつがいるだろう。茶色い髪の、爽やか男子」 げっ……、なんでこいつ、知ってるんだ? オレの疑問に答えるように、探偵はちょっとした調査で今日(よりにもよって今日!)、学校に潜入したと説明した。 「市長の息子の高瀬川くんだね」オレの隣でヤナが答える。 「すっごく足が速いんだって。色んな大会で優勝してるって地域誌に書いてあったよ。出ていた写真は白黒だったけど、中々のイケメンだったね」 「女の子たちの声援、すごかったもんな」 「きっとナギの方が詳しいだろうが……」 ヤナはオレをちらっと見て、 「ま、アスリート同士にも色々あるからね」 やんわりとお茶を濁してくれた。やっぱりヤナは頭が切れるとオレは思う。そしてただ感謝する。話の根を掘り下げなかったことに。 モノレールのブレーキの音がした。混雑する店の中にネムルを置いておけない。妹にするのと同じように小さな身体を抱え上げる……と、視界が紫色に反転して鈍い痛みが頭の芯をつついた。 背後へ倒れかけたオレをヤナが慌てて受け止める。ネムルを探偵に託した後で、パイプ椅子に座らされた。 「熱はないから貧血かねぇ」 オレの額に手を当てながら、ヤナがうーんと考え込む。 「飯、ちゃんと食ってるかい? 睡眠は?」 「問題ないと思いますけど」 咄嗟に、嘘を吐いた。明日も朝から練習が入っている。太陽の昇っている時間は部活で、月の昇っている時間はバイト。 「夜更かしするな」って、ネムルを叱れる立場じゃないんだ。 控室で休んで良いというヤナの提案を断って立ち上がった。たちくらみがやってきたが、足を踏んばって堪えると、すぐに何ともなくなった。 「アスリート、ねぇ……」 探偵は目を細めてオレを見た。 「何だよ? 何が言いたい?」 「別にぃー」と言いながらも、にやにや笑いを止めない。 ……なんか、腹立つ! 「仕事の邪魔だ! さっさと帰れ!」 「言われなくても帰るよん。少年よ、また会おうぜ」 「二度と来るな!」 蹴り出すように店の外へ追い払おうとしたオレを、身軽に探偵はかわした。 両腕にネムルを抱いたまま、跳ねるように外へ出ていき、あっという間に闇の中へ消えた。 |