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 な、なんだ? 事故か? モノレールでもぶつかった?
 カウンターから飛び出して、窓の外を見る。壊された窓ガラスを抜けて温かな風が吹きつけたが、どこにも事故の気配はない。
 店の前に男が立っている。それも三人。白い電光看板に照らされて、彼らの顔が良く見える。オレたちより年上だ。その中に一人、モヒカン刈りの男がいる。
 こいつら、探偵が言っていた嫌がらせの犯人たちか?
 足下に、オレと同じ制服を身につけた大柄の女性が倒れている。身体を丸めてぴくりとも動かない。
「ヤナっ!」
 名前を呼んでも反応がない。三人は悠々とした足取りで、ヤナの傍を通り過ぎる。今夜は嫌味な看板を立てかけにきたわけじゃないらしい。
「どうかそのままで」
 モヒカン男がなだめるように両手を突き出した。
「我々は強盗にきたのではありません。金品は強奪しないので安心してください。その代わり、店の中にあるものをすべて破壊します……なぜだか分かりますか?」
 鉄パイプをマイクのように差し向けてくる。何か言えってことだろう。
「し、知らない……」
「そうでしょう、そうでしょう」
 歯切れの悪いオレの返事を聞いて、男は満足げに笑う。
「あなたたちに分かるはずもない。星屑ストア≠ネんてクソみたいな名前を掲げて涼しい顔をしている、あなたたちのような輩にはね」
「……」
 別にオレが看板を掲げているわけじゃないし、むしろ改名を勧めたこともあるんだが、そんなことはこいつらにとって微々たる問題に過ぎないんだろうな。
 モヒカン男が鉄パイプを一振りする。ひゅっ、と風を切る音がして、棚に並んだガムが崩れた。息を呑んだセツナと反対に、男の一人がひゅうっと口笛を吹く。

 再び、オレにパイプが差し向けられた。
 今度はマイクではなく、武器として。

「大人しくしていれば危害はくわえません。少しでも抵抗するそぶりを見せたら……どうなるか分かりますよね?」
 店先に倒れているヤナを見る。顔は見えない。血も出ていないし、怪我をしているわけでもない。
 だからこそ、ぴくりとも動かないのが恐い。
「ヤナはどうしたんだ?」
「ヤナ?」
「あそこに倒れている女だよ。あんたたち、その鉄パイプでヤナのことを殴ったのか?」
 三人組は顔を見合わせる。ふる、ふる、ふる。アイコンタクトを取りながら全員が首を横に振る。意外なことに困惑している様子だ。
「……とにかく我々は星屑ストア≠破壊しますので」
 モヒカン男が咳ばらいをすると、他の二人も我に帰って鉄パイプの素振りを始める。
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
「なんですか? ヤナという人のことは知りません。私たちはまだ誰も傷つけていませんよ」
「そうじゃない。お客を帰してやってくれ。こいつは星屑ストア≠ニ関係ない」
 オレの提案は、
「ダメです」
 即座に却下された。
「そのまま警察に直行する気でしょ。そうは問屋が卸しませんよ。お願いですから任務遂行まで待ってください。一時間で終わりますから。その後でしたら警察でも病院でも好きなところへ行っていただいて構いませんので、どうかこの通りです」
 いやに殊勝な態度でモヒカン男は頭を下げる。
「うちのリーダー、暴力沙汰は初めてで緊張しているんだ」と手下A。
「少しは気持ちを汲んでやってくれないかな」と手下B。
「俺たちは市民の声を代表しているんだよ。言わば、正義の味方だよ」
「星屑ストア≠ェ閉店したら、ちょっとしたニュースになるし」
「新聞にも載るかも知んない」
「俺たちの名も挙がって、目障りな店も消え失せる」
「一石二鳥とはまさにこのこと」
「だから、どうか」
「店を壊させてくださいな」
 モヒカン男に倣って、残りの二人も頭を下げた。

 ……確かに、オレたちにとって「星屑」は、見るも恐ろしい言葉の一つだ。病が発生する前に命名されていたとしても、未だ看板に掲げるなんて愚かなことだとオレも思う。ヤナだって自分の店が逆風にさらされていることくらい承知の上だ。
 それでも彼女は、ばあさまの意思を貫こうとしているんだ。「星屑」が恐怖を意味しなくなることを、そして「星屑ストア」がレムレスに受け入れられる時を、その未来を、誰よりも望んでいるんだ。

 オレは店の前で倒れているヤナを見た。
 店の奥のおにぎりの棚を見た。
 額に入ったばあさまの達筆な文章を見た。
「正義」を名乗った暴力で、彼女の夢を壊されるわけにはいかない。

 後ろ手にそっと握ると、セツナの手は冷え切っていた。風呂上がりの濡れた髪のまま、冷房の効いた店内に長くい過ぎたせいだ。
「ナギ……?」
「信じてくれ」
 その手をぎゅっと握った。
「絶対、絶対、守るから……」
 目の前では三人組が四十五度の姿勢で礼儀正しく頭を下げている。血路を開くなら、今しかない。
「走れっ!」
 セツナの手を引いて、オレは駆け出した。
 突然の行動に、やつらは意表を突かれたようだ。体当たりを喰らわせると、三人のうち一人が仰向けにひっくり返った。強引に間を割って駆け抜ける。
「いててっ! ケツ、打っちまった」
「あー、びっくりした。不意打ちは卑怯だよな」
「何をひるんでいるのですか! 追うのです! 人を呼ばれては一大事です!」
 背後で犯人たちが騒いでいる。振り返っている暇はない。オレたちは走る。入り口のドアへ、「星屑ストア」の外へと。
 モノレール駅の端に横幅の狭いスロープが見えた。何重にも螺旋を描いて地上へと続いている。スロープの真ん中を通るエレベーターに乗り込むべきか迷ったが、地上階へ着くより先に回り込まれたら一巻の終りだ。果てしなく思える坂道をただひたすら駆け下りる。
 ふもとの公園はしんとしていた。いつもなら酔っ払ったオヤジやいちゃつくカップルがいるはずなのに、今日に限って人気ひとけがない。ひとまず茂みの中へ身を隠す。
「ごめん、ナギ……これ以上、走れない」
 薄ぼんやりした外灯の下、セツナの顔は蒼白していた。草むらに座り込んだままぜいぜいと息を切らしている。
 遠くから三人の足音が聞こえてくる。このまま商店街の方へ抜けてくれればいいが、しつこく辺りを探し回られたら全滅だ。

 二人で逃げ切ることができないなら、とるべき道はただ一つ。
 オレの足、そのためにあるんだろ。

「オレがやつらを引きつける。その間に警察を呼んでくれ」
「だめ……、行っちゃだめよ、ナギ」
「心配すんな。オレ、超、超、超、強いんだぜ」
 額の汗を拭いながら、張りぼてでできた余裕綽々よゆうしゃくしゃく余裕綽々の笑みで笑った。
 セツナはさらに何か言ったようだったが、オレの耳には届かなかった。茂みを抜け、駅へ戻ると三人組とかち合った。やつらもスロープがキツかったと見えて、ぜいぜいと息を切らしている。
 すぐさま踵を返して、遊歩道を走り出す。男たちもやにわに後を追ってくる。三人とも速い。それなりに速い。
 でも、オレには遠く及ばない。

 走れ! 走れ! 走れっ!

 代謝と恐怖がない交ぜになって胸の鼓動が速くなる。生を感じて、死を感じる。
 あの日――星が落ちてきた日も、同じ気持ちだった。紫色の光が渦巻く生と死の狭間でオレは走っていた。命よりも大切な、妹を抱えて。

 オレが走るのは、ゴールを目指すためじゃない。
 オレが走るのは、大切な人を守るためだ。

 散歩道を抜けて個人商店が立ち並ぶ坂道を、船着き場の方へ下る。セツナはオレと正反対に坂道を上って、「曼荼羅ガレージ」へ駆けこむに違いない。ネムルなら商業区の交番がどこにあるか知っているはずだ。
 大丈夫、逃げ切れる。この勝負はオレの勝ちだ。
 そう思った矢先、撃たれたような衝撃が走った。勢い余って地面に倒れ込む。背中が焼けるように熱い。近くに鉄パイプが転がっている。三人のうちの誰かが投げつけたらしい。反射的に拾い上げる。
 男たちは間近に迫っていた。
「こらっ、大人しく気絶しろ!」
 ひゅっと音がして左肩のすぐ側を鉄パイプがすりぬけた。さらに右側から嫌な予感がして、飛び退いた地面を鉄が叩く。石畳の地面に白い打ち傷がついた。

 バカか、こいつら!
 フルスウィングをまともに受けたら気絶どころの騒ぎじゃないだろ!

「お前ら、鉄パイプで人の頭を殴ったらどうなるか知ってるか? ヒヨコが頭の周りをピヨピヨ回るとでも思ってんのか?」
「ヒヨコがピヨピヨ? そんなバカな。君は現実と空想の区別がつかないようですね。最近の若者の、想像力の欠如を危ぶみます」
 バキバキバキ。モヒカン男の渾身の一撃が店の木柱を粉砕し、オレは最近の大人の想像力の欠如を危ぶむ。
「殺すつもりはなかった」なんてありがちな弁解をされる前に、なんとしてでも逃げなければ……!
 その後も破れかぶれになりながら、三、四回攻撃を交わした。運動部で鍛え上げた動体反射の賜物だ。

 でも、そこまでだった。

 鉄パイプを受け太刀したとき、振動が鉄を伝ってびりびりと腕の骨に響いた。あまりの痛みに反応が遅れた。隙をついて、モヒカン男が鉄パイプを振りかざした――オレの左足に向けて。
 ひどいなんて言葉じゃ言い表せない痛みだった。
 世界中の災厄がいっぺんに降りかかってきたような、究極の痛みだ。
 地面に倒れて、足を押さえた。息が詰まった。悲鳴も、呻きも、涙さえもでてこない。世界中の音という音が消えた。痛みは無音だった。無音の痛みが右足の骨の芯を貫いている。
「大人しくして下されば、眠って頂くだけで済みましたのに……」
 モヒカン男の、憐れみを含んだ声が頭上から聞こえてくる。
 眠るってなんだよ、永眠か?
 お前ら、「力加減」って言葉を知ってるか?
 足の骨を折るのと同じパワーで頭を殴ったらどうなるか分かる?
 そもそもオレを動けなくさせたいんなら、このくらいで良いんじゃないの?
 様々な疑問が浮かんでは消え、浮かんでは消え、そして最後にぼんやり思った。

 オレ、死ぬのか?
 こんなところで?
 マジかよ。

 信じられないけれど、オレの人生、ここで終わりらしい。その証拠に死神の姿が見える。オレの傍らでやれやれと溜息を吐いている。
死神は黒いローブではなく、つややかな皮のコートをまとっている。冥界にもトレンドがあるようだ。鎌の代わりに大きな刀を持っているし、髪も赤いし、おまけに厚底……。
 ……厚底?
「そろそろ大人になるんだな」
 傾かしいだ前髪から茶色い目がのぞき、ようやくオレは気づく。
 こいつは死神なんかじゃない。
 死神より厄介な、オレの天敵。
「俺たちの両手はたくさんのものを受け取れない。夢を追うのも、大切な人を守るのも、片手間に出来ることじゃない。目の前に広がる無限の選択肢からいちばん大事な一つを選ぶ。大人になるってそういうことだ」
 三人が飛び掛かる。
 探偵は八の字を描くように滑らかに刀を振るって鉄パイプを受け流した。犯人の一人が勢い余って地面に膝をついた。立ち上がる隙も与えず、刀の柄で後頭部を叩きのめす。気絶した男がオレの隣に転がった。
 わけもなく、オレは思う。

 大人。

 褒めてない。皮肉でもない。おもちゃのようなサーベルを振り回すこの男は、オレとは違う種類の人間。何もかもオレの常識にそぐわないけど、こいつの言いたいことが今では少し分かる気がする。
 オレも近づいているんだろうか……大人に。
 探偵は犯人の背後に回り込んだ。最初の一人と同じように後頭部を殴りつける。くずおれる男に、もう一撃。
 程よい「力加減」で二人を気絶させてしまうと、残るはモヒカン男一人になった。
「なーんか、臭うな」
 くんくんと鼻をひくつかせると、探偵は眉を潜めた。
「あ、お前のモヒカンか。どんなワックス使ってんだよ。触りたくないから首で良い?」
「な、何の話ですか……?」
「何の話ですかって、殴る部分の話ですよ」
 にやりとあくどい笑みを浮かべる。
「首に一撃。目覚めは牢屋。瞬間移動のマジックみたいで面白いぜ」
「人権侵害だ! 弱者蹂躙だ! 暴力反対です!」
「おいおい、鉄パイプ持った人間が何言ってんのよ。売られたケンカは買えよ。……あれ? ケンカ売ってきたの、おたくが先だっけ?」
「さよならっ!」
 モヒカン男がくるりと背を向けて走り出したそのとき、空から巨大な壁のようなものが落ちてきた。モヒカン男の頭の上に。
 それは、もちろん、壁じゃない。それは象の何百倍も太い、土でできた足なのだった。
 頭上を仰ぐと、星空の中に首長恐竜の巨大なシルエットが見えた。
「そこにいるのはナギじゃないかー?」
 首のつけ根に腰かけている、小さな猛獣使いの姿も。
「ボクのお掃除ロボット二号が、何か踏んづけた気がする……」

 雨のようにどさどさと土の塊が降ってきたのは、それから間もなくだった。


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