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「どうした? 今日は元気がないね?」
 入荷した商品を棚に並べていると声をかけられた。
「徹底的に打ちのめされて、手も足も出ませんって顔してるよ」
 きびきび動いて、ミスもしていないのに見抜かれた。相変わらずヤナは鋭い。陸上部のこととさりゅのこと。両手に抱えた悩みを打ち明けそうになって、踏みとどまる。
「……ヤナさんは、どうして格闘家を止めたんですか?」
 オレはさりげなく話題を変える。
「すごい人気だったじゃないですか。美女の野獣≠ニか格闘家殺しファイター・キラー≠ネんて言われて、誰もが世界へ行くって思っていたのに」
 当時、小学生だったオレでもその噂は知っていた。百戦錬磨の女性ファイターが国内の格闘と名がつく賞を総なめにしている。その強さは圧倒的で、男性格闘家でさえ歯が立たない。時には熊を相手に死闘を繰り広げることもあった。
 スポーツニュースはいつも彼女の話題で持ちきりだったし、彼女自身、インタビューで「次は世界が相手だ」と意気込んでいた。
 ところがヤナは、彼女のファンたちが嘆く暇も与えずあっさりと引退してしまった。出場予定の試合を全部キャンセルして、格闘競技界から姿を消してしまったのだ。
 ヤナのドタキャン引退事件は、ファンの間で今もなお伝説として語り継がれているらしい。
「夢ができたんだよね」
 ヤナはぽりぽりと頬を掻いた。
「とっても大事な夢」
「世界進出よりも?」
「そうだよ。生涯かけて叶えなきゃいけない夢が、目の前に現れちまったのさ」
 ヤナは慈しんだ目で蛍光灯を見上げる。それからレジを、商品の並んだ棚を、カウンターを、カウンターの後ろに飾られたばあさま直筆の額を、見上げる。

 まさか……。

「この、コンビニですか?」
「当たり」
 ヤナはにっこり笑い、そして語った。
 昔を思い出すように、ゆっくりと。

 ――ばあさまがバイク事故であっけなく逝っちまったのは、世界大会出場を賭けた試合を控えた二ヶ月前のことだった。フェザー級に出場するため、あたしは減量の最中で、肉体的にも精神的にもいちばん辛い時期だった。
 その連絡を受けたとき、野生の直感でもうダメだと分かった。ばあさまの魂は肉体を離れ、病院にはいない。
 あたしが向かったのは星屑ストア=B
 ドアを開けてすぐ、極限状態で研ぎ澄まされた第六感が、懐かしい気配を感じ取ったよ。間違いない。ばあさまはここにいる。死者になってもこの店を守ってる。
 そう思ったら泣けてきちゃって、ばあさまが死んだ悲しさよりも、店を想うばあさまの愛が愛おしくて、「臨時休業」と張り紙された店の中で声が枯れるまで泣いた。
 泣き疲れて腹が減って、おにぎりの棚からおにぎりを取り出して食べた。具材も何も入っていない、塩だけのおにぎり。びっくりするほど美味しくて、あたしは試合のことも、世界進出のことすらも、どうでも良くなっちゃったんだ。
 ばあさまのコンビニを守る。
 これこそがあたしの、本当の夢だと気づいたから……。

 オレはおにぎりの棚を見る。その前で、若き日のヤナが泣きながらおにぎりをほおばっているところを想像する。
 ヤナの後ろには特攻服を着た、幽霊のおばあさん。想像の中の二人は幸せそうだ。
「あたしは闘う人から守る人になった。ばあさまの魂であるこの店を、死ぬまで守り続けていく。盛者必衰じょうしゃひっすいのチャンピオンより壮大な夢だろ?」
「た、確かに……」
 ヤナはぱんぱん、と大きな両手を叩いた。
「さ、あたしの話はこれでおしまいだよ。一つ言わせてもらうとね、あんた抱え込む癖があるから、たまには洗いざらいぶちまけた方がいいよ。友達でも、誰でも良い。一人で悩み過ぎないことね」
「……分かったよ、ヤナさん」
 意図して話題を変えたことが完全にバレていたが素直に頭を下げた。ヤナの話がオレの中でこんがらがっていた糸を、少しだけほどいてくれたのは事実だから。
 へへへっ、と照れくさそうに笑うと、ヤナは店の外へ出ていった。

 苦情の看板を撤去するため、この店の看板を守るために。


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