今朝見た夢のできごとから、キョウヤから聞いたベーゼの施設まで、フィアスはなるべく手短に真一に話した。真一は早くもルディガー・フォルトナーのところで、食べていた醤爆鶏丁を喉に詰まらせて咳込んだ。
 そういえば生物学上の父親の話や、自分の幼年時代の記憶喪失の話はこいつにさえしたことがなかったな、とフィアスは気づいた。予め、話しておくべきだったか? いや、今までずっと〈サイコ・ブレイン〉とは関係がないことだと思っていたんだ。それに、過去を語るのはあまり得意じゃない。
「じゃあ、ガキの頃はどうやって生活していたんだよ、お前は?」
もっともなことを真一が聞くので、いやいやながらフィアスは答えた。
「ルディガーの事件を担当していた刑事と検視官に引き取られた」
「その後は?」
「そこに七年いて、カレッジに入る年に家を出た。あとは自活していた。ガキの頃に生物学上の父親が殺されたことと、父親の道連れに殺されかけて記憶をなくしたことを除けば、何の変哲へんてつもない人生だ」
「それを除いても、十分壮絶そうぜつな生き方だと思うぜ……」
詮索せんさくはその辺にしておいてくれ。昔話は好きじゃないんだ」
 フィアスは目を閉じて、煙草に火をつける。
「それよりも、キョウヤという男から聞いたベーゼの施設について話そう。ベーゼ、知ってるか?」
さすが情報収集にけた何でも屋だけのことはある。真一は即座に頷いた。
「知ってるけど、ベーゼって存在からして微妙だぜ? マスコミですら議論を諦めて、今では都市伝説に近い扱いだ。本当にそんな施設があるのかどうか……」
真一の言葉にフィアスは首を振る。
「存在していると断言はできないが、可能性は高いと思う。ベーゼでなくともリュウトウマサムネを非公式に匿える場所がなければ、マサムネの処刑記事が出回っていないこととつじつまが合わない」
「マサムネが生きていることに、何か意味があるのか?」
「なかったら誰も生かさないだろう、十五人殺しの大量殺人犯なんて。……近いうちに話を聞きにいかなければならなくなる」
何気なく呟いたフィアスの一言に、真一はぐえっと喉を詰まらせながら鶏肉を飲みこんだ。
「話を聞くって、龍頭正宗にか?」
フィアスは当然だと言うように頷いた。
「他に誰がいる?」
「いや、いないけどさ……まあ、フィオリーナの力で、どうにかなるか」
フィアスは眉間に皺を寄せてしばらく黙ったままだった。会話の途中で物思いに耽ってしまうのはフィアスのいつものくせなので、真一は特に気にせず、ここぞとばかりに目の前にある肉料理をむしゃむしゃと頬張る。三皿目をおかわりして、やがて思い出したように言った。
「そのキョウヤっていう奴から、もっと情報を引き出せなかったのか? キョウヤに〈サイコ・ブレイン〉を止めてほしいって言われたんだろ? そいつも俺たちの仲間にすれば、話が早く進んだかもしれないぜ」
真一の質問には答えず、逆にフィアスは聞いた。
「リンがなんで泣いていたか、分かるか?」
真一は訝しげな顔で首を振る。凛が眠っているのを確かめるように、フィアスはキッチンの扉の方を一瞥し、それから視線を真一に戻した。
「キョウヤは近いうちに死ぬ」
「死ぬ? 〈サイコ・ブレイン〉に殺されるっていうんなら、なおさら匿ってやった方が……」
「いや、〈サイコ・ブレイン〉が彼の死期を早めるかもしれないが、そうしなくとも、キョウヤは既に手遅れだ。キョウヤが病的な程、衰弱していたという話はしたか?」
真一は頷く。それは先程聞いたフィアスの話にも加わっていた。枯れ枝のような細い身体に青白い顔。着ている衣服も夏場にしては不自然だったというはなしだ。
「それがどうしてだか、分かるか?」
 今日のフィアスはえらく慎重だ。もったいぶるように質問に質問で返してくる。しかし、フィアスからキョウヤという少年の話を聞いたときから、真一も薄々勘付いていた。裏の世界で仕事をしていると、こういった話はたくさん聞くのだ。
 沈んだ顔の真一を見て、フィアスは頷いた。
「そう。キョウヤは末期のドラッグ中毒者だ。きっかけはなんであれ、それを餌に〈サイコ・ブレイン〉に加わったんだろう。〈サイコ・ブレイン〉の最下級の連中はそういった奴らで構成されているんだと思う。一目見て、もう手遅れだと分かった。キョウヤ自身もそれに気づいていたから、俺達に重大な情報をリークしたんだろう。気の毒だが、近々死ぬ予定のある人間を迎え入れる余裕はない」
フィアスの目が切れ味の良いナイフのように鋭く光った。再び、キッチンのドアの向こう、凛の眠っている部屋を見つめる。
と、その瞳が苦悩に歪んだ。
「〈サイコ・ブレイン〉がリュウトウリンへの報復を考えているのであれば、キョウヤの死を使わない手はない。どんな方法であれ、彼の死をこちらへ伝えてくるはずだ。リンの方もキョウヤの死の臭いを嗅ぎ取っていて、キョウヤの情報には敏感に反応する。彼の死を隠し通すことはできない。ただでさえ今日のことで気が滅入っているのに、さらに追い打ちをかけられたりしたら、リンは……」
フィアスは目を閉じて、ほとんど独り言のように小さく呟いた。眼の前に真一がいることを忘れていたのかも知れないし、あるいは気にならなかったのかも知れない。
「力を使わずに人を守る術が分からない……」
 それはロジックで構成された彼の言葉に時たま浮かび上がる、ごく短い本音の吐露だった。