激しくなった動悸はある一端を過ぎると、それがいかに緊迫した状況の中でも、やがて弱くなっていくものらしい。さっきまで張り裂けそうなほどになっていた胸の鼓動が、今は遠慮深げに脈打っている。他のみんなはどうなんだろう。
 荻野茜は着席のお手本のような座り方のまま、目線だけを周囲に走らせた。ハイジャックされた教室には、補講生が茜を入れて8人いる。クラスはバラバラだけどみんな同じ高校二年生、数学の期末テストが30点以下の者。視界の幅には範囲があるので全体は見渡せないが、誰も身じろぎ一つしないで着席しているようだ。ほんの3時間前まで隣の席で眠りこけていた庵奈でさえ神妙な顔をしたまま、机の木目を凝視している。教卓の前に教師のように立っている立てこもり犯の気を引きたくないのだろう。そして背後の掃除用具入れの方にいる、もう一人の犯人にも。派好きの庵奈も、今日ばかりは極力目立たないよう必死で自分を消している。立てこもり犯の目にとまるような事にでもなったら、気まぐれに何をされるか分からない。
 茜は呼吸をほんの少しだけ大きくしたような溜息を吐きだした。こうして10分に一回は小さく深呼吸をしないと、さすがの茜でもパニックに陥ってしまいそうだった。
 何か役に立つ事があるかも知れないから、こうしてさりげなさを装っては友達の様子をみたり、教卓の前にいる犯人の姿を目に焼き付けたり(それでも犯人は覆面に、ありきたりなパーカーとジーンズという出立ちなので、これといった特徴はないのだが)しているのだが、3時間もこの張り詰めた空気の中にいるとさすがに神経が参ってくる。
 でも、きっと、みんなもおんなじだ。みんなも、不安で恐いに決まっている。何も、自分だけじゃない。
 今や、茜やその他の生徒が平静を保っていられるのは、こうしたある種の連帯感が芽生えているからだった。
 教卓の上に置かれたポータブルテレビからリポーターの声が聞こえる。この事件のことを報道している。犯人は教卓の上に上半身をもたせかけるような格好で、ポータブルテレビを眺めていた。茜には覆面男の、はっきりとした表情は掴めなかったが、どうやら苛立っているようだ。貧乏ゆすりのように中指を教卓に打ちつけ、たまに舌打ちもする。きっと警察が自分たちの要求に中々応じないから焦っているのだろうと茜は思った。
「まだか」
背後から声が聞こえた。もう一人の犯人がぼそりと教卓の覆面男に尋ねた。
「もう3時間だぞ」
「分かってる」
覆面男が無愛想に返事をするが、相変わらず目線はテレビを見つめたままだ。「事件は混迷したまま、未だ進展をみせていないようです」とリポーターが口にした瞬間、覆面男がこれまでにない苛立ちを見せた。
「……ったく、このガキどもがどうなっても、いいのかよ」
呟きながら、覆面男が腰のベルトにつる下げていた拳銃を取り出したので、教室の空気がわずかにどよめいた。茜は今まで生きてきた中で、初めて「死」というものの可能性を近くに感じた。
 その時である。
「す、すすすすいませ……ん」
どもりにどもった小声が教室の外から聞こえてきた。警察の声ではない、恐怖に怯えているけれど、若い男の子の声だ。犯人も閉まった引き戸の向こう側から聞こえてくる声が、警察のそれではないと感じたのだろう。それでも不信感は拭えないようで、覆面男は拳銃を手にしたまま、掃除用具入れの方にいる共犯者と怪訝な顔を見合わせている。
『どうする?』声には出さず、覆面男の唇がこんな風に動いた。するとすぐに後方から指示が出たのだろう。静かに頷くと、覆面男は問うた。
「誰だ?」
「お、俺……ずっとそこのトイレ、いたんですけど、出てくるタイミング、見失っちゃって……それで今……」
「ここの生徒か」
「はい」
 覆面男は銃を構えながら引き戸を少しばかり開ける。二言三言、廊下にいる少年と言葉を交わしてから、教室の引き戸を完全に開け放った。
 背をかがめ、両手を肩の前でホールドアップしながらおそるおそる入って来たのは、痛んだ金髪に軽いウェーブを走らせた生徒だった。眉毛が跡形もなく剃ってあって、細い目が垂れている。外見から、不良の雰囲気の漂う男子生徒だ。彼をみた瞬間、茜は違和感に襲われた。着ているブレザーやズボン、上履きは須賀濱の制服に違いないのだが、こんなに派手な不良生徒を学校で見かけた記憶はない。茜の学年は生徒が300人ほどいるのだが、2年も同じ学校で過ごすとなると友達でなくとも大抵は顔見知りだ。しかし、彼の印象はない。
 そんなことを思った矢先、庵奈が泣きそうな声で、否、既に涙に滲んだ声で小さく呟いた。
「直樹……」
男子生徒はちらりと席に着いている同輩を一瞥し、特に庵奈の姿を目に留めると、気弱な目に鋭い光が宿った……かのように、茜には見えた。彼はここぞとばかりに、ごほごほと大袈裟に咳を飛ばした。眉をひそめた顔で、犯人が激しく咳込む彼を見つめる。
「おい、何してんだ」
身を崩し、床に手をついて喘ぎながら彼は言った。
「す、すんません……俺、喘息持ちなんです。び、びょ、病弱ってこと」
「ああ?」
「こっ、ここ、空気が悪いです。歪んでます。俺、このままだと肺炎引き起こして、死んじゃうかも」
小さくうめき声をあげ、震える手で彼は校庭側の窓を指さす。窓ガラスの向こうには夏の日差しに照らされた無人の校庭が風の吹くままに砂吹雪をあげている。
「窓を……窓を開けてくれないですか。新鮮な空気を吸わせてください……すんません」
 しかし、犯人は銃を構えたまま、その場から動こうとしなかった。疑り深げに、苦しげに呻く男子生徒を見下ろしている。この男子生徒に対する不信感を、未だに拭いきれてないらしい。掃除用具入れにいる犯人を見ながら、思案を巡らせている。
 なんだかこのままでは犯人が面倒くさいからというそれだけの理由で、この男の子の命を奪ってしまうような気がして、
「あのっ!」
咄嗟に茜は挙手していた。頭で考えるよりも、勝手に身体が行動している。収まっていた動悸が一瞬で激しく伸縮し始めた。ひどく痛い。脳髄からはアドレナリンが一気に放出されたのか、頭がくらくらしている。握りしめた片手から冷や汗がどっと溢れ出た。言ってから後悔の渦が押し寄せてきたけれど、茜は手を下げなかった。この教室にいる全員が茜に視線を向けた。犯人は視線と同時に手にした銃口までもこちらに向けてきた。あの指が引き金を引くだけで、自分がとてつもなく痛い思いをするか、痛い思いもしないままに17年の人生に終止符を打つか、そのどちらかが必ず決定づけられていると思うと、思わず声が上ずった。
「その子、めっちゃ苦しそう。このままだと、ホンマにいてまうかも……どうか窓を、開けてやってください。お願いします」
隣にいる庵奈も、しおらしげな声で呟いた。
「直樹が……直樹が死んじゃう」
二人の女子高生の切実な瞳に犯人が押されたのか、単に人質との口論が面倒くさかっただけなのか、茜には分からなかった。ただ、犯人は頭を掻くと不機嫌な声で「しょうがねぇな」と零したのだ。
「妙な真似したら、殺すからな」
犯人はそろそろと窓に近づいた。教卓から3,4メートル離れた校庭側の窓は廊下側にある中学校のような大きな建物はない。突撃班も、狙撃犯も、全員がこぞって中学校の校舎で待機しているので、犯人は銃口を男子生徒と中学校側の校舎に向けていた。掃除用具入れの方にいるもう一人は廊下の方へ出て行って、いつ誰が突入してきても反撃ができるように銃を構えている。
 覆面男は目線と銃口を男子生徒に向けながら手探りで窓の賭け金を探すと、扉を解錠した。窓のサッシ部分を掴むとそのまま勢いよく左側にスライドさせる。がらがらがらと低い音を立てて窓が開く。真夏の暑い日差しと蝉の声、そして涼しげな風が一陣、緊迫した戦場に流れ込んだ。
「これで文句はな……」
微かに笑んだ犯人が、その言葉を最後まで告げないまま、夏の涼風に乗って黒い影が開け放した窓からしなやかに飛び込んできた。茜は一瞬猫かと思ったが、影はのら猫よりずっと大きい。猫ではなく、黒豹かもしれない……どうして大型の捕食動物が横浜の住宅地にいるのか、理由は分からないけれど。
 それはほんの一瞬の出来事で、犯人が叫喚きょうかんをあげる隙もなかった。窓から飛び込んできた黒い獣は、その足で犯人の頭部を蹴り飛ばすとそのまま床に着地する。犯人の手から弾きとばされた拳銃が、男子生徒の方に転がった。
「ナオキ!」
 鋭い声で黒い獣が男子生徒――直樹の名を呼ぶ。腰を抜かさんばかりにあっけに取られ、事の成り行きを見守っていた直樹がハッと息を呑んで、犯人の黒い拳銃に飛びかかった。廊下を守備していたもう一人の犯人も、教室の騒ぎに気づいて、気が狂ったように教室に舞い戻ってきた。両手に銃を構え、今にも発射せんばかりだ。
「ガキども、伏せろ!」
 しゃがみこんだ体勢からすっくと立ち上がって、人の姿となった黒い男が、直樹を呼んだ時と同じ調子で、茜たちに指示を出した。生徒たちは短く絶叫して、机の上に突っ伏した。茜も声の主に従い、頭を抱えて机に伏せた。刹那、パァンと何かが破裂したような、音を聞いただけでも心臓が止まってしまいそうな鋭い銃声が教室中に轟いた。生徒は益々悲鳴をあげる。茜もキャッと短く悲鳴をあげたいところだったが、高ぶった感情が喉を締め付けて、声が出てこない。そして、茜の犯罪に対する好奇心は心の奥底に根付いた気質的なものであったらしい、銃弾の行方が気になって、茜は自分の命を一瞬忘れた。後頭部に手を当てながら伏せっている顔をわずかばかり持ち上げて、教壇を仰ぎ見た。
 あの黒い男が血に染まって倒れていたりしたら、もうこのまま死ぬしかないと思ったが、どうやら最悪の事態は回避できたようだ。
 犯人の撃った銃弾は、一次方程式がずらずらと書かれた黒板の端っこにめりこんでいた。その黒板の中央では、黒いスーツを身にまとった金髪の男が表情を険しくさせて、銀色の大きな銃を左手に構えているのだった。男の顔を見た瞬間、茜はハッと息を呑んだ。濃い青色を湛えた切れ長の瞳に色素の薄い肌、筋の通った鼻に凛々しげな眉……見惚れるような、精悍な顔立ち。
「兄ちゃん!」
銃使いガンナー!」
茜と庵奈はほぼ同時に押し殺した声で、黒板の前に佇む男を呼んだ。そしてほぼ同時に二人は顔を見合わせた。
「ちょっと! アンタ、銃使いガンナーと知り合いなの!?」
「何言うてんねん。あの兄ちゃんは、ホストやで」
 直樹は手には黒光りする拳銃を持ったまま、オロオロと辺りを見回していた。
「フィ、フィアス!」
名前を呼ばれても、フィアスは犯人と銃を突き合わせたまま、微動だにしない。険しく細まった瞳は射抜くように掃除用具入れの前で銃を構えている犯人に向けられている。
「フィアス、こ、この銃、どうするんだよぉ」
「ナオキ、そいつを構えて、倒れている犯人の後頭部に当てろ」
フィアスが目線を犯人に向けたまま、言った。
「さっき教えた通りだ。俺が合図するまで引き金は、引くなよ」
「ま、間違えて引いちゃったら……」
「殴る」
フィアスは銃の安全装置を外した。


 フィアスと対角線を引くように対峙している犯人は、肩で息をしながら目線を教卓の前に倒れている覆面男や、直樹、フィアス、人質の生徒、とあらゆる処に走らせている。荻野刑事の言ったとおり、予想外の事態が起こったため、半ばパニックに陥っている。動揺している男に拍車をかけるように、フィアスは続けた。
「お前達に勝ち目はない。大人しく銃を捨てて投降とうこうしろ。時間が経過していくごとに、お前達は不利になってる。誰も殺していない今なら、間に合うぞ」
「馬鹿にするな! さっさと銃をしまわないと、人質を殺すぞ」
「そうなる前に、俺がお前を殺す」
フィアスの全身からほとばしる殺気が犯人にも届いたようだ。この男は本気だ、と犯人は思った。自分が引き金を引く動作を素早く読み取って、それより早く銃を撃つことを可能にする。こいつは、警察官じゃない。携帯電話から穏やかな声で交渉を続けていた、保守的な警官隊と同じグループに属している人間とは思えない。有利な状況に落ち着いていた自分たちをまるで恐れない。すさまじい瞬発力で、あっと言う間に立場を逆転されてしまった。
「お前は、誰だ……!」
思わず、犯人は口に出していた。
「警官じゃない、SATとも違うな。お前は一体……」
犯人にしても、このまま引き下がろうと言う気はなかった。言いながら、犯人はにじりにじりと掃除用具入れから黒板の方へ歩を進めて行く。向かう先は黒板にいる男ではない。教卓の前の方に座っている8人の人質だ。
ほんの5分前までは悠々とくつろげる立場にあったのに、今では藁にもすがりたい思いで行動をしている自分の心境の変化は、意識しただけでも腹立たしい。
「……誰だ? 日本の警察は新しい特殊部隊でも作ったのか? さっきの突入劇は目を見張るほど手際の良いものだったじゃないか」
犯人は目線をフィアスに向けながら、前進を続けた。1キロにも2キロにも思えた掃除用具入れから人質までの距離があと50cmにも縮まった。8人の人質のうち一番後方に腰かけていた、小柄な女子生徒にターゲットを定める。新たに人質を取るなら、男より女の方が都合がいい。
 犯人はフィアスから目線を外すと、飛びかかるように女子生徒の首筋に掴みかかった。「ひっ」と女子生徒が悲鳴をあげる間もなく銃をこめかみに当てると、女子生徒の首をしめるように腕を絡ます。彼女の小さな体が恐怖に硬直するのを感じた。むりやり立たせると、犯人の腕の中の人質が途端に銃よりも強力な武器のように思えてくる。人質を盾にすれば、いくら早撃ちの得意な相手でも、安易に銃は撃てまい。犯人は心中でほくそ笑んだ。こうなったら、仲間の救出より、自分が無事にこの場から逃げおおすことの方が重要だ。女子生徒の隣の席に座っていた派手な女子高生が、顔を真っ青にして女子生徒の名前を呼んだ。
「茜……!」
「銃を降ろすのはお前の方だ」
苦しげに呻く女子生徒をしっかり押さえつけながら、犯人は銃口をフィアスに向けた。そのまま今度は教室の後方の出口へにじりにじり、後退してゆく。
「早くしろ! この娘がどうなってもいいのか!」
フィアスは銃を構えていた手を下ろすと、手前にあった机にゆっくりと銃を置いた。
「そっちのガキもだ。銃を捨てろ!」
直樹はすがるような目でフィアスを見ていたが、フィアスが微かに首を上下させると、言われたとおり、銃を床に置いて立ち上がった。銃口が離れたと言うのに、共犯者の覆面男は微動だにしない。さきほどの、フィアスに蹴られた時の衝撃で失神してしまったらしい。涙を呑んで、見捨てて行くしかないと犯人は思った。
 いや、見捨ててゆくのではない。人質と交換に、警察に送り届けてもらうという手もある。ついでにもう一人の仲間の解放条件もつければ好都合だ。教室のドアの入り口に立ちながら、人質の利便性を犯人は痛感していた。
「そこに倒れてる男は、この娘と交換だ。後で場所と時刻を指定する。警察にも伝えておけ」
「その必要はない」
肩の前で軽く手を持ち上げた状態のまま、フィアスは答えた。不利な状況に立たされていると言うのに、その声には不安も焦りも感じられない。それどころか、アドバンテージはまだ自分が握っているかのような余裕ぶりが垣間見えた。
今までで一番大きな不信感が心をよぎり、犯人は「何だと?」と聞き返せずにはいられなかった。
「マイチ」
フィアスはホールドアップしたまま、静かに言った。瞬間、犯人の後頭部に何か硬いものが触れた。冷たくて丸い筒のようなもの、これは銃のマズルだ。犯人は蛇に睨まれた蛙のようにその場に立ちつくした。後頭部にとてつもない圧迫感を感じる。
 背後に立つ第三の男の、手にした銃の安全装置を外す音が振動となって犯人の後頭部に響く。
「大人しくソイツを離した方がいいぜ。手に負えないくらい凶暴な女だから、人質にしても不利なだけさ」
腕の中の人質が苦しげな声で「真一」と呻く。途端、第三の男――本郷真一の声は低くなって、殆ど犯人に囁くような大きさに変った。
「俺はそこの直樹と違って、オモチャ・・・の使い方はちゃんと心得てる。早いとこ銃捨てないと、マジでアンタをることになるよ」
無意識に、犯人の上腕が鳥肌立った。真一の声は静かだったが、その裏にぴんと張り詰めた一本の綱のような揺るぎなさを、感じ取ったのだ。あと1分でもこのままの体勢を続けていたら、この男は確実に引き金を引く。確信が、犯人の心を貫いた。
 恐怖を感じるという点では、真一もフィアスと変わらない。しかし、真一に漂う重い空気は、犯人にとってなじみ深いものだった。なじみ深く、そして何よりも恐れているものだった。
 背後で銃を構える年端もゆかない青年は、その世界の男が二、三十年かけてこしらえる凄みを、もう携えている。
「どうしてその道の人間が、警官に加担している?」
「いいから、早く銃を捨てろってば」
苛立たしげな真一の声に、犯人は銃をその場に落とすしかなかった。真一は足もとに転がった犯人の銃を遠くに蹴飛ばすと、ジーンズの後ろのポケットから手錠を取り出してガシャリとかけた。
「フィアス、こっちは大丈夫だぜ」
それを合図に、フィアスは机に置いていた銃に手を伸ばした。安全装置を戻して、懐にしまう。そしてひざまずくと同じように背後に寝転がっていた覆面男に手錠をかけた。
「午後1時15分、犯人二名を確保」
フィアスが呟いた。
「君たちは、もう安全だ」
この言葉を聞いて、顔を机に伏せていた人質の高校生たちが恐る恐る顔を上げる。途端、何人かの嗚咽が静かに聞こえてきた。
「マイチ、犯人が他にも武器を所持していないか確かめてから、教室の片隅に向かわせて、足にも錠をかけろ。ナオキはそこに倒れている犯人の足に錠だ。俺はそっちの意識のある方に、聞きたい事がある」
真一と直樹が犯人の動きを完全に封じると、フィアスは教室の片隅で寝転んでいる犯人の元へ向かった。
 フィアスが何やら犯人と会話をしている間、真一は手持ちぶさたのまま、改めて教室を一望した。高校生たちは誰しも恐怖に強張った顔をほぐすことができず、しかし体は放心したように椅子にもたれかかっていた。本当はすぐにでもこの場から逃げ出したいのだろうが、そのタイミングを掴めずに、誰かが動き出すのをお互いが待ち望んでいる。ただ、犯人の最後の人質となっていた茜だけは、教室の入り口に立ちつくしたまま顔を俯かせていた。教室の隅からでも、その小さな肩が小刻みに震えているのが、見てとれた。近づいて、普段の茜らしくない茜をまじまじと見ようとしたが、茜が無言のまま真一の腹の辺りにパンチを喰らわせたので、それも叶わない。
「こんな時でも、お前は凶暴だなぁ」
苦笑しながら腹をさすっていると、茜はまたもや無言のまま真一の胸に顔を埋めた。じわじわとシャツが水で濡らされていく。真一はお腹においた手を外すと、そっと茜の頭の上においた。茜の肩の震えが強くなる。両腕で抱きしめると、茜の震えが嗚咽に変わる。
 真一はしばらくそうしていた。