「マジすごかったんだってばぁ!」
室井庵奈むろいあんなは身振り手振りを交えて興奮気味に二週間ほど前の話を語った。携帯を片手に、もう一方の手にはストロベリー味のアイスクリームを手にしている。
「ほんとーに、映画みたいだったんだ!」
話の全貌を聞き終えた荻野茜おぎのあかねは手にもつ抹茶味のアイスを舐めつつ納得の行かない顔でうなる。
「その話がマジもんなら、ソイツ、銃刀法違反やないか」
銃刀法第三条「所持の禁止」に「発射の禁止」も絡んでいる。それ以外にもたくさん法を犯しているに違いない。これは逮捕されて然るべき重罪である。
「それ、ホンマもんの銃やった? エアーガンとかじゃなくて?」
茜の質問に庵奈は首を振る。
「エアーガンだったら直樹のバイクのタイヤに穴あけられる程の威力はないでしょ」
「いや、最近のエアーガンはあなどれへんよ。人をも殺せる破壊力があるんやて。これを殺傷能力マンストッピングパワーいうてな……」
「ちょっと茜、エアーガンとか銃刀法違反の話じゃないでしょ」
庵奈は脱線気味の話を元に戻した。


 夏休みも始まったばかりなのに早速補習とはついていない。
 先日、数学のテストで赤点を取ったことを悔やみつつ、茜は友人の庵奈と高校で補習を受けた。遊び一直線の庵奈は夏休みといえども殆どの科目の補習ラッシュで、ほぼ毎日高校に勉強に来ていた。一方茜は真面目気質で素行も良く、そこそこの成績を収めてはいたのだが、どういうわけだが、今学期の数学だけが思うように点が取れなかったのだ。
 小学時代からの竹馬の友といえども、遊び人の庵奈のとなりで補習を受けるのはちょっとした屈辱だった。辺りを見回すと補習に来ている人間の殆どは遊び人と評判の高い、学年でも目立っている子たちばかりで、単位を落とさないために補習に「出席」しているものが圧倒的多数を占めていた。
 遠巻きに彼らのやる気のない顔を見ながら、締りのない世の中になったものだと茜は落胆した。
 その後補習を終えた二人は、そのまま家に直行するのもしゃくなので制服姿のまま横浜の繁華街を適当に徘徊はいかいしていたのだった。夏の日差しは暑く、しかも繁華街は年中人でごった返している。まるで人工サウナの中に放り込まれたような感覚がする。手にもつアイスも早く舐めきらないと溶けてしまいそうだ。

「アタシ、あの人惚れたかも」
突然、庵奈は言った。茜は訝しげな顔をして聞き返す。
「あの人って誰?」
「ほら、さっき話した拳銃使いガンナーのお兄さん」
ああ、と茜は相槌を打った。
 庵奈の彼氏が牛耳を執る暴走族組織〈美麗〉。それを一夜で粉砕した謎の拳銃使いガンナー。目の前で彼氏を殺されそうになりながらも、庵奈はその華麗ともいえる男の戦いっぷりに心を奪われてしまったらしかった。
 ついでに、力の強さに負けず劣らず、ルックスも相当のものだったとか(ここは妄想壁の強い庵奈の事なので、真実かどうかは分からない)。
あの夜以来、庵奈は愛情をこめてその男を「拳銃使いガンナー」と呼んでいる。名前は惜しくも聞き逃したらしかった。
「ていうか、直樹とはどうなったん?」
茜は尋ねると、庵奈はつんと正面を向いて、
「あんな弱いヤツ別れてやった!」
(またかい!)
庵奈の言葉に茜は頭を抱えた。
〝直樹とは別れてやった〟
今までに十回以上は庵奈の口から聞かされている言葉だ。
メールの返信が遅いだの、髪型を変えたのを気づいてくれなかっただの……「別れ」の原因は中学生レベルの事ばかり。くだらない理由だけあってこのカップルの関係修復機能は驚くほど早い。昨日破局したと思ったら、次の日には仲直りをしている……そんな感じだ。つまり、些細なケンカをする度、このカップルは破局するのである。
 茜は〈美麗〉の族長、瀬谷直樹せやなおきと直接面識はなかったが、庵奈から彼の話を聞くところによると、“虚勢を張ったお馬鹿さん”というイメージしか沸かなかった。強い男に惚れやすい庵奈だが、反対に茜は直樹に小動物的な可愛さすら覚えている。一体、今度は何日で関係修復するのだろうか。
「あーあ、拳銃使いガンナー、また会えないかしらぁ」
茜がそんなことを思った矢先、庵奈が口を開いた。
 会いたいのは、「直樹」ではなく「拳銃使いガンナー」……今回は元鞘に収まるまで結構時間がかかりそうだ。
「うちも拳銃使いガンナーに会いたいわ。そんで親父に逮捕してもらう」
茜の父・荻野総治郎は神奈川県警の刑事である。
「じゃあ茜には紹介しなーい」
「何言うてんの、アンタだって拳銃使いガンナーの名前知らんくせに」
そんな他愛ないやり取りをしながら、女子高生二人組は歩道橋をわたる。手に持つアイスは二分の一程に小さくなっていた。

歩道橋を渡りきると庵奈は唐突に切り出した。
「そんでさぁ、例の彼はどうなったのよ?」
茜が眉間にしわを寄せると、庵奈は新たに補足した。
「ほらぁ、アンタの家賃滞納者クン。この前アメリカから帰ってきたとか言ってたでしょ」
「ああ……」
茜は納得がいったように頷いた。
 庵奈が言いたかったのは、馬車道にある茜の母親の管理する空き屋をねぐらとする「何でも屋」、本郷真一の事だろう。月々五万円程度の破格の家賃。それすら滞納する何でも屋の存在が茜には悩みの種だった。
 五万円という金額は高校生である茜のお小遣いの十ヶ月分に当たるにしても、暇を持て余している社会人には工面できるはずの額なのである。「何でも屋」という職業が儲かるのかどうかは知らないが、聞くところによると真一はこの辺り一帯を牛耳ているヤクザの親戚だとかなんとか。金の頼りには事欠かないはずなのに、頑として真一はヤクザの金に手を付けようとしなかった。ニート社会人が増加していくこのご時勢、身内の脛をかじらず自分の稼ぎで金を払うという真一のポリシーには好感が持てたが、家賃を滞納されるのはたまったものではない。
 余りにも家賃を滞納しているので、ある日茜は金属バットを手に何でも屋へと奇襲を仕掛けた。真一を自分の前に居直らせて散々説教をした。そしてその一週間後に、真一は「何でも屋・休業」の張り紙だけを置いて海外へと出かけてしまったのである。真一は仕事の都合だと言っていたが、今でも茜は真一が家賃を払いきれずに海外へ逃げたのではないかと踏んでいる。
「ちゃんと五十万、耳揃えて返さしたよ。なんや、友達に立て替えてもろたみたいやけどな」
「ふーん、良い友達がいるね」
「ホストやから、支払いがええねん」
ふーん、と気のない返事をして庵奈はアイスを食べることに従事した。イケメン好きの庵奈だが、驚いたことに「ホスト」は射程距離しゃていきょりの範囲外らしい。専ら、ヤンキーやらヤクザやらという、ワルい男が好みのようだ。茜には庵奈の趣味が理解できない。
「庵奈……とりあえず、法律に引っかかるようなことだけはせんといてな。親友がうちの親父にしょっぴかれるなんて嫌やで」
「ばかぁ、なんでそうなるんだよ!」
ケタケタ笑いながら、庵奈の手がどん、と茜の背中を叩く。合いの手にしては痛い。庵奈は昔から力の加減ができない女なのだ。それは今に始まったことではない。茜は自分の全精神力を持ってして、なんとか庵奈を殴り返すという選択を、踏みとどまる。
 しかし、今度は右肩をぽんぽんと叩かれた。庵奈にしては随分力の入れ方が弱いが、それでもやっとのことで踏み止まった茜の怒りを爆発させるには十分だった。
「あんたは、ちょっとくらい力の入れ方を勉強せぇぇ!」
振り向き様に、茜は庵奈に怒鳴ったつもりだったのだが、そこにいるのは庵奈ではなかった。当の庵奈はというと、茜の左隣できょとんとした顔をしている。
「あら、ごめんなさい。痛かった?」
庵奈と茜の背後に出現したのは、見たこともない女性だった。黒目がちの大きな瞳をさらに大きく見開いて、茜を凝視している。
「私、そんなに強く叩いたつもりはなかったんだけど、ごめんね」
女の人が申し訳なさそうな顔で謝るので、茜は慌てて「違います、誤解です、非は庵奈にあるんです!」という趣旨のことを早口で説明しなければならなかった。元凶であるはずの庵奈は、ぽかんと口をあけたまま女の人を頭のてっぺんからつま先まで、何度も眺めている。
 そして庵奈らしい素直な感想を述べていた。
「可愛いー!」
 庵奈の言葉通り、女性は天真爛漫てんしんらんまんという言葉がぴったりの、愛らしい容姿をしていた。ショートボブともセミロングともつかない黒髪に、雫型の黒い瞳は目尻から零れ落ちそうなくらい大きい。背丈は茜や庵奈と変わらないにしても、スタイルがモデルさながらに抜群だ。華の女子高生といえども茜も庵奈もまだまだ子供だと思えるくらい完璧な女性。エクステンションの取り巻いた金髪に濃い化粧をしている庵奈でも、この女の人の前では背伸びをしている中学生に見えてくる。
「まあ、ありがとう」
庵奈の感想にクスクスと鈴の音のような笑い声を立てて彼女は礼を言う。さらさらした前髪が揺れた。
「この人、モデルかな?」
隣にいる庵奈がひそひそと耳打ちしてくる。
「こんな綺麗なんだもん、絶対芸能人だよね」
茜は曖昧に頷く。
 記憶をめぐらせても、こんな輝かしい人とは過去に一度も面識を持ったことはない。庵奈の方もそうなんだろう、知り合いではなさそうだ。女の人は庵奈と茜の顔を交互に見比べながら、比較的話の通じそうな茜に向かって言った。
「あなた、何でも屋さんの事、知ってるわよね?」
何でも屋!
 茜は女の人の言った言葉を噛み締める。「何でも屋」なんて特殊な職業、この近辺には本郷真一の営む店一つしかない。
「ええ、知り合いに何でも屋なんちゅうモンを営んでいる男ならおますけど……」
「やっぱり!」
女の人ははしゃいだ様子で感嘆の声をあげる。茜はいぶかしんだ顔を隠そうともせず女の人に言った。
「あの……、あの男に何か用ですか? ひょっとして依頼人の方ですか?」
「ううん。違うの。そういうのじゃなくて……なんて言うのかなぁ、〝知り合いの知り合い〟って感じかしら」
真一にこんなに綺麗な知り合いがいたなんて、アイツも中々隅に置けない奴だ。でも〝知り合いの知り合い〟ってどういうことだろう? 茜は疑問に思ったが、今知り合ったこの女の人に聞けるべきことではないので黙っておく。
「その何でも屋さんの事務所って分かるかしら? ここから遠い?」
大きな目をぱちぱちさせながら女の人は聞く。茜でも思わずドキドキしてしまうような魅力的な仕草である。
「そんなに遠くないです。良かったら、うちが案内しましょうか?」
「わ、嬉しい!」
女の人は手を顔の前で合わせて無邪気に笑う。十本の爪には青緑色のマニキュアがきれいに塗られている。この人の全てを象徴するかのような、美しく澄んだ色。晴れの日の海面のような輝かしい色だった。