脱出


「どうも、おかしいな……」
無意識に呟いたらしい正宗の言葉にフィアスも同感だった。
 面会室のあった地下三階から螺旋階段を上へ。段々と地上の出口が近づいているというのに、面会室の銃撃戦以降、敵の攻撃はぱたりと止んでしまっていた。ベーゼはしんと静まり返っている。行きに来た時と同じ、人の姿は見えない。廊下は靴音が響きやすかったが、フィアスの鋭敏な聴力をもってしても人の足音は聞こえなかった。一階も同様、静まり返っている。これ幸いと取って良いのか。
 しかし、あれだけのどんちゃん騒ぎを起こして、平穏に事が進むと思えない。
「この廊下を真っ直ぐ行くと、お前が行きに通って来た受付に出る。裏口ならこの回路をぐるりと一回りして反対側に向かわなきゃならねぇ。さて、どうするか?」
正宗が銃で指し示す。銃口の先には見覚えのある通路が見えた。ベーゼから抜け出すには正門から外へ出るのが一番手っ取り早い。ベーゼから車のある場所へ向かうルートは一直線だし、視界も広い。その分、派手な銃撃戦が予想される。ベーゼの裏側は一面が森になっており、身を隠しやすい反面、トラップも仕掛けやすい。行動を制限して進まなければならなくなる。どちらにしても一筋縄ではいかない。何か良い策はないのか……。
 フィアスが思案を巡らせていると、
「……!」
 途端、背筋が凍りつくような嫌な気配を全身に感じた。
 銃を構えて辺りを見回すが、誰の姿も見えない。姿は見えずとも分かる。誰かが傍にいる。それも、強靭な力を持つ何者かが。いつの間にか頬を汗が滴り落ちていた。何処ともつかず銃を構えたまま、フィアスは敵の視線の元を探るが、はっきりしない。何処だ? 何処にいる? 俺の五感でも、正体が掴めない……一体、どうすればいい。
「おい小僧」
正宗に肩を叩かれてフィアスは我に返る。見れば正宗も曇った顔で辺りに視線を走らせている。
「嫌な予感がするぜ。十七年前に味わったのと同じ、嫌な予感が」
「マサムネ、あんたも感じるのか」
「ああ……この気配、懐かしいぜ」
「まさか、これが」
「ああ」
ネオだ、と正宗は小さく呟いた。ネオ。近くにいる。
 ネオ。探し求めていた男。龍頭一族の運命を脅かし、破滅の道に引きずり込んだ男。彩を殺した男。
 フィアスは残り数発となったマガジンを床に落とし、新しいものと交換する。装弾数は十発。多くない。熾烈を極めた銃撃戦が予想される。一戦交えてしまえば、マガジンチェンジの隙など皆無だろう。この十発で確実に仕留めなければならない……ネオを。
「マサムネ、ここから先は別行動にした方が良いと思う。敵はネオの他は雑魚ばかりだ。あんたの手にも負えるだろう」
フィアスの言葉を聞いて正宗は片眉をぴくりと吊り上げた。その一言でフィアスの意図が分かったようだ。マジかよ、と呟いた。フィアスは頷くとスーツの内ポケットから車のキーを取り出して正宗に渡した。
「俺がネオと戦っている隙に、あんたは裏口から抜け出せ。トラップが仕掛けられているかも知れない。慎重に行けよ。無事に横浜についたら、俺の携帯電話で上司と連絡を取ってほしい。彼女にベーゼへ向かうよう伝えてくれ。それからリン……あんた、娘にちゃんと謝れよ。これが最重要事項だからな」
「小僧……お前は、囮になるつもりか」
囮? 正宗の言葉を聞いて、フィアスは鼻で笑う。
「俺は一番効率の良いやり方を実行するだけだ。マサムネ、あんたは自分が生き延びることだけを考えていれば良い」
フィアスは銃を両手に持ち直し、入口へ――ネオの気配のする方へと足を向けた。「横浜で会おうぜ」という正宗の低い呟きに、フィアスは片手を振った。